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今こそ中国論之二

 これは、2009年から2010年にかけて、インターネット市民新聞「JANJAN」に、ペンネーム青木岳陽として発表した文章です。

いまこそ中国論(3)中国農村の旅から(上)

 抽象的な概念で中国論を語っても、実際に中国の空気を肌で感じ、人々に交わらなくては単なる「机上論」に堕するきらいがあります。そこで、今回は07年から09年に筆者が歩いた中国について紀行文風にまとめ、記してみたいと思います。

 

 中国の大都市圏における経済発展のめざましさは読者の皆さんもよくご存知のとおりです。天を突いてそびえる摩天楼や、歩行者天国にあふれる人ごみの熱気、清代の姿に模擬復元された中華モダンな観光街など、日本のテレビや新聞にも躍動する中国の姿が連日のようにあふれています。

 

 「それは大都市の話、中国の格差は大きいから、農村は貧しいでしょう」と言われる方もあるかと思います。なので、中国の辺境地帯の本当の姿をお伝えしたいのですが、とにかく広い国ですから、地名を聞いてもピンとこない地方では興味が湧きません。

そこで、吉林省延辺朝鮮族自治州図們市をご紹介します。そう、豆満江を隔てて北朝鮮と接する国境の町です。筆者は延辺自治州とは不思議な縁があり、なじみの人たちも多いところです。

 

1.図們へ

 中国東北部の玄関・大連から延辺自治州の州都・延吉へは、国内線でダイレクトに飛べば1時間半くらいですが、現在では瀋陽経由のフライトしかないため1時間ほど余分にかかってしまいます。延吉市は人口約46万人で、中国では大きな町とは言えませんが、韓国との経済関係が深く、外貨が投資されているせいか意外に大都市に見えます。延吉空港も、1日の発着便が数本しかない小さな空港ながら、ソウルとの間に国際線があるのです。到着は夜、薄暗くひんやりした空港ビルにはハングル文字の案内板があり、北朝鮮に近いのだ、と実感できます。

 

 タクシーで図們へ向かい、寂しい町外れを走るうちに、突然立派な高速道路が現れます。吉林省の省都・長春からロシア国境へ向かう数千キロにも及ぶ高速道路で、車のハンドルの位置が違うほかは、何ら日本の高速道路と変わりません。緑地に白抜きの標識が立ち、漢字の表示に思わず日本かと錯覚しますが、ローマ字ピンイン表示と共にハングル文字の表示もされているのが延辺らしい特徴です。冬は零下20数度の凍てついた世界を、スノータイヤに履き替えない自動車が走り抜け、車中でも肝を冷やします。

 

 図們駅前のホテルに投宿、目の前には建設中のまま放置されたビルがあります。一時期、北朝鮮が図們市から近い日本海の港湾都市・羅津・先鋒の経済特区を開発したのに伴い、このあたりはロシア・中国・北朝鮮が接する「金三角」と呼ばれて投資ブームが起きました。しかし、北朝鮮の政治・経済状況が相変わらずで、物流はほとんどないようです。

バブルを当て込んで作ったホテルもがらんとして、他に客がいるような雰囲気がありません。レストランは閉まっており、エレベーターは「修理中」の張り紙がしてあります。わざと止めたようです。一方、各フロアには服務員が常駐して、部屋の出入りを見張っており、昔ながらの中国式ホテルです。

お湯が出ないので、服務員の部屋に行って訴えると、「このホテルは7時から10時までしかお湯が出ません」とのこと。翌朝、目が覚めて、ポットのお湯を飲み残したコップを見ると、湯冷ましが半分残ったコップの底には、細かい砂が沈殿していました。シャワーが濁り水だったのは織り込み済みでしたが、飲み水までこうです。

 

2.北朝鮮国境

 タクシーを拾って古いアパートが立ち並ぶ通りを「観光地」に向かいます。そこは巨大な赤いコンクリートの門が建つ口岸、北朝鮮との国境です。ここがあの有名な豆満江、日本のテレビで北朝鮮特集をやるときによく見る場所です。

国境ゲートは開いているものの、車の行き来は全くありません。北朝鮮には宗主国・中国から大量の物資が支援や貿易の形で投入されてきましたが、その代金を払う余裕が全くないので図們の国境貿易は止まったままようです。北朝鮮の港湾や鉱山は差し押さえ状態にあるようで、中国による植民地状態だとみる専門家もいます。

ところで、前回来た時には、図們市郊外の人民解放軍駐屯地前に麻薬の検問所がありました。今回は検問所が閉鎖されているのは北朝鮮からの密輸麻薬が減ったせいでしょうか。

 

 さて、ここは2009年4月、中朝国境を取材中の韓国系アメリカ人のテレビスタッフが北朝鮮警備兵に拉致されるという事件が起こった場所・・・観光地とはいえ、のどかとばかりも言っていられない?と思いきや、国境の中国側にはぎりぎりまでアパートがひしめき、何の変哲もない住宅街が広がっています。国境の川沿いはきれいにカラータイルで舗装された遊歩道が続く公園で、お土産屋や記念撮影屋がずらりと店を並べ、中国人観光客で賑わっていました。

「どこから来たの?韓国人?日本人?あっちが北朝鮮だよ。金日成の肖像画も見えるよ」

おばちゃんの熱心な売り込みに負けて、レンタルの双眼鏡を借りて豆満江の対岸を覗いてみます。銃を担いだ兵士の他に、思いのほか畑仕事や魚釣りをしている一般人らしい姿もありますが、ほとんどの人はやることもなさげにぶらぶら歩いているだけのようです。北朝鮮側の町・南陽には白いビルが立ち並んでいますが、本当に人が住んでいるのか、生活臭が感じられない建物ばかりです。

「ああ、あれは皆、監視の人たちです。魚釣りの格好をしながら見張っているのです」

後日、延吉で友人に国境の話をしたとき、南陽のビルは無人の「はりぼて」だと教えられました。

「北朝鮮も、毎日中国側から観光客に見られていると知っています。北朝鮮だってビルぐらい建てられると見せるために、外側だけ作っているのですよ。その証拠にビルには窓ガラスが入っていないのです」

 

 中国側の山々は、オンドルで焚く薪を切ってしまうために日本の山に比べれば貧弱だけど、それでも萌え始めた雑木林の緑がまぶしく光ります。しかし川の対岸にそびえる北朝鮮側の山はなんと言うか土色の斜面が広がっているばかり、食糧難で雑草の根っこまで掘り返して食べてしまったという話は本当なのでしょう。

 

「2002年頃は毎日のように北朝鮮から逃げてきた人たちが物乞いをしていましたよ。警察に捕まって北朝鮮に引き渡されると、手に針金を通されて連行されるそうです」

なんとも痛そうな話ですが、現在は北朝鮮の国境監視が厳しくなり、一般人が近づけなくなったのと、当初は逃げてきた同胞を匿っていた朝鮮族の人たちも相手をしないために、脱北者はほとんど見なくなったといいます。国境の門の先には道路橋、川の下流に鉄道橋が見えます。ふと振り返ると、大きな看板が目に留まりました。

「中国共産党でなければ発展はない、調和社会の実現を」云々。中国人観光客が北朝鮮を覗き見て「やっぱり貧乏たらしいなあ」と優越感に浸りつつ振り替えると、経済成長を引っ張ってきた中国共産党の看板が目に入るという仕掛けなのでしょう。そこまでして「愛国・愛党精神」を盛り上げたいようですが、少々えげつない感じがします。

 

 お土産屋には、韓国の人形や携帯ストラップがずらりと並び、ロシアのマトリョーシカ人形やロシア製チョコレートもあります。北朝鮮の物産は切手やお札などが主で、工芸品はなく、せいぜいタバコくらい。将軍様の不自然なくらいにこやかな笑顔がなんともはや。服務員に北朝鮮のバッジがないか尋ねると、思わせぶりにカウンターの下から赤いビロードの布を取り出しました。布にはびっしり金日成や金正日のバッジが・・・おお。

多少銭?「20塊」日本円で300円とは、紛失すると命にも関わるというバッジにしては安いのですが・・・

「これは偽物ですよ。全部中国でお土産用に作られたものです」

商売っ気のある服務員が言います。あの思わせぶりに取り出したのは何だったのでしょう。

 

3.図們の農家

 図們市郊外にある農家へ伺います。私事で恐縮なのですが、私のつれあいは実は中国人、ここはつれあいの実家で、今回は里帰りの旅なのです。門をくぐって中庭に面したドアを開けると、台所ではかまどに架けられた大きな鍋から湯気が上がり、お母さんや親戚のおばさんたちが料理に忙しそうです。

「ニイハオ、久しぶりに帰ってきました・・・」

「あいやー、よく来たねー」

 

 わいわい歓迎を受けて、オンドルの部屋に上がらせてもらいます。そこには老爺をはじめ、市内に住む親戚たちが集まっていました。岳父が腕を振るって作った料理が並べられます。「中国の良き夫」といった感じの料理自慢のお父さんが、今朝3時に起きて何にしようか考え、市場まで買出しに行って作ってくれたのだそうです。

「さあ、娘が孫を見せに帰ってきたよ。旦那も来てくれて本当に嬉しいね。乾杯」

ありがとうございます。男の席と女の席に分かれて、それぞれにつれあいや私が通訳になって、延辺ならではの宴会が始まりました。私が結婚式でつぶされてしまった白酒「高麗村」や、ビールがぽんぽん封を切られます。

「チンムーは結婚式でつぶれたからなあ」 

はい、お恥ずかしいです。今日はビールにします。

 

 酔っ払って別室で横にならせてもらうと、MSNのテレビ電話で使っているパソコン環境は、中国辺境の農村ながら光回線が来ていました。日本の我が家は負けています。また、老家にはテレビ、DVD、飲料水機、冷蔵庫、洗濯機といった日本にもある家電製品は中国製ながらだいたい揃っています。それで「結婚にあたって必要なものがあれば私が揃えます」と申し出たところ、何も必要なものはないよ、と言っていたのでしょう。

ただし、−20度にもなる冬の寒さに耐えるために、かまどで薪を燃やしてオンドルに熱を送り込むことが必要であり、電子レンジとかまどが同居しています。一冬を支える薪は、お父さんが秋に山へ行って切り出してくるのだといいます。中国は全土が国有地だけど、どこで薪を切ってもいいの?

「畑や宅地は個人の使用権が決まっているけど、山には使用権がないから自由なんだよ」

薪に限らず、山菜やきのこ、薬草、うさぎ・・・といった山の幸は、国有地から取り放題なのだとか。

 

 そして、トイレが問題・・・畑を挟んだ向こうにレンガ造りの小さな建物があり、快適な現代日本の生活に慣れた者にとっては難敵です。当然ぼっとんトイレながら、夜は電気もないのでトイレットペーパーと懐中電灯を抱え、雨なら傘を持って行くことになります。「紙はクズカゴに入れてトイレに落とさないでね。肥料に使えなくなるからね」

筆者はなるべく町に出たときにきれいなトイレを探そうと心がけましたが、背に腹は代えられず、夜になってどうしてもトイレに行きたくなったときは、つれあいを起こしてついてきてもらいました。

「老婆、頼むから懐中電灯を持ったまま、あっちを向いててくれないかな」

 

 夕方、老家の外を散歩していると、つれあいが帰ってきた話を聞いた近所の人が声をかけてきて、中国語を話す筆者もすっかり有名人になってしまいました。

「隣の娘は日本へ留学して、今は通訳をしています。あの家の親戚も日本に住んでいます」農村ながら日本へ行ったことがある人がやたら多い場所です。

 

 山手に見える十字架がある教会の村は朝鮮族が暮らす村。朝鮮族の子どもは中学生になると、朝鮮族の中学校へ通い、英語の代わりになんと日本語を勉強するそうです。なんでも、国語である漢語と、民族語の朝鮮語のバイリンガル教育に、英語を加えると漢族に比べて負担が重くなる、そこで、中学校の外国語の時間を二分して、文法のよく似た日本語を勉強するのだとか。まさに「東アジア民族」といった感じがぴったりします。

 

 ちなみに、筆者のつれあいは漢族ですが、料理や家屋などの生活文化に朝鮮族の影響があるといいます。その漢族と朝鮮族の集落は分かれていて、教会のある場所はたいてい朝鮮族が住んでいますが、主に韓国へ出稼ぎに行く人が多く、海外流出によって今では延辺自治州の人口も漢族の割合が増えているようです。韓国で外貨を貯めて戻ってきた人たちは延吉に投資をし、消費するのでここは中国の辺境ながら消費水準は高い方なのだとか。

「韓国でお金を貯めて戻ってきた人たちは、使い果たすとまた韓国へ出稼ぎに行きますよ」

 

 

いまこそ中国論(4)中国農村の旅(下)


4.延吉

 今日は延辺自治州の中心都市・延吉で、つれあいの姐姐たちにお会いする日、図們から朝の普通列車に乗って延吉市へ向かいます。火車站から歩いていける距離のところに、梅姐の旦那さんが経営する会社がありました

「ニイハオ、梅姐はいますか?」

事務員に告げると、大柄な老板が出てきて、妻は出かけているが座って待っていてくれ、と通してくれた。姐夫は笑顔で私たちを招き入れ、社長室にある巨大水槽で悠々と泳ぐ熱帯魚を見せてくれました。

 

「君たち、お茶はわかるかい?」

筆者が少しわかると答え、龍井緑茶や鉄観音烏龍茶の名前を出すと、姐夫は喜びます。

「私は工夫茶が趣味でね。お茶の話ができて嬉しいよ」

小さなコンロや茶瓶、茶海、聞香杯や茶杯などの茶道具セットを取り出し、応接テーブルの上でいそいそと中国式茶道の準備をします。ままごとセットのような可愛い茶道具を、大柄な姐夫がせっせと並べているのも面白い眺めです。コンロに載せられた土瓶がしゅるしゅると蒸気を噴き出すと、茶瓶にお湯をかけて温め、一杯目のお茶は濃いので茶海に捨てる・・・

「まず聞香杯で香りを楽しむんだよ」

つれあいは中国南方の工夫茶を珍しそうに眺めています。中国東北部ではお茶を飲む習慣は一般的ではなく、もっぱらお湯だけを飲む人が多いのです。つれあいは烏龍茶もプーアル茶も、初めて飲んだのは日本へ来てからでした。

姐夫が銘茶を買い集めて楽しんでいる工夫茶は、ここではお金持ちの趣味なのでしょう。

 

 おいしい、香りが爽やかだ、と誉めると、姐夫はさらに喜んで「このお茶を知っているかね?」と一本の茶筒を取り出しました。ブランド名は共青茶。いいえ、知りません。

「そうだろうとも、限られた農園でしか作られていない幻の銘茶なんだ」

そして、これを私にくれるという。そんな申し訳ないですよ。次回は日本の銘茶を老板にプレゼントすることにし、ありがたくいただきました。

 

 梅姐が帰ってきたので、一緒に近くのマンションに暮らす陳姐の家へ。中国に次々と建ちつつあるヨーロッパ風の瀟洒な高層マンションで、エレベーター付きです。ドアが開いて中へ招き入れられると、白色の内装がまぶしく、まるでアメリカの映画に出てくるような豪邸でした。私の給料では日本ではこんな家に住めないでしょう。梅姐と陳姐に日本の生活の話をしながら、人生の先輩から結婚生活や子育ての話を聞きました。

 

 そろそろ時間はお昼頃。久しぶりに姐姐たちが筆者たちを昼食に招待してくれるといいます。招待された場所は中国各地にチェーン展開している東北料理のレストランです。

用意された個室に入っていくと、もうすでに何人かお姉さま方が待っておられた。少し遅れて年下の友人もかけつけます。それなりの地位もありそうな人ばかりです。

「遠くからよく来てくれました。私たちの妹が幸せになるのはとても嬉しいですよ。じゃあ乾杯」

 

 しみじみと妹分の幸せをかみしめているかと思いきや、酒を飲みだしたら姐姐たちは豪快だった。先日、親戚が集まったときは女の人たちのテーブルが別だったり、女の人はお酒を飲まなかったりと、延辺は保守的な地方なのかなと思っていたけれど、女の人ばかりになるとそうでもなく、次々に生ビールが運ばれ、日本では大ジョッキほどもあるビールが空になって部屋の片隅に積み上げられていきます。

乾杯ができなければ好漢じゃないと姐姐たちに煽られて、私もぐいぐい生ビールを空けさせられました。東北の人は酒が強いとは聞いていたけど、ここまで強いとは。私と、会社の老板だという陳姐の旦那さんは完全に姐姐たちに圧倒されていました。いやあ、「漢」と書いて「おとこ」と読ませる義侠の世界だ。女の人たちだけど。

 

 昼食の締めに韓国冷麺を食べてお開きかと思いきや、まだ終わらないのです。

タクシーに分乗して姐姐たちと向かったのは大きなカラオケボックス。なんだか日本の二次会そのままです。姐姐は部屋に入ると服務員に「まずビール」え、まだ飲むんですか?

「じゃあ二次会で乾杯」となって、コップに注がれたビールをぐいっ。ぷはー、ちょっと酔ってきたかも。「ビールどうぞ」と姐姐のコップにビールをつぐと、「おお、日本流だねー」ときゃあきゃあ言って喜ばれます。中国では乾杯相手の杯にお酒をつぐことはあるけど、自分のコップに自分で飲みたいだけつぐのが一般的なのです。

果物の盛り合わせやつまみ類が大きな籠に載ってどーんと出てきました。

「さあさあ、歌って、歌って」

促されて、私の知っている限りの中国語の歌をカラオケで歌いました。「但願人長久」とか「老鼠愛大米」とか。周華健の曲で結婚ソングの定番、「明天我要嫁給ni了〜」と歌うとやんやの喝采を浴びます。

「じゃあ、次は日本語の歌を・・・」

リクエストが多いなあ。カラオケの曲名リストにはずらりと日本語曲が載っていますが、さすがに姐姐たちも日本語の歌までは分からないのか、1つ歌ったら

「まあ、分からないからいいわ」

 

 カラオケボックスを出るともう5時近く。

「じゃあ、晩ごはんを食べにいきましょう」

通りでタクシーを拾おうとする姐姐について行こうとすると、つれあいが私の腕を引っ張った。

「ちょっと、もうキリがないからやめよう。図們に帰るよ」

なんでも、全て姐姐たちの奢りで招待されたので、どこまでも甘えるのは申し訳ないから、という以外にも理由がありました。何より延辺の宴会の恐ろしさを私はまだ知らなかったのです。一般的に中国では宴会の時間は決まっていて、その場だけでお開きになることが多いのですが、延辺は朝鮮族の習慣が影響してか、一次会の宴会が終わると、カラオケ等で二次会があり、今日のような昼の宴会なら三次会で夕食を食べ、また飲み、サウナへ行って酔いを醒まし、マッサージをするかまだ飲むか・・・とにかく延々と続くのだといいます。

本日のお姉さま方は大変喜んで私を気に入ってくれたので、間違いなく午前様コースに突入するところだったとか。そうなると、確実に明日は一日ベッドでうなっていなければならなかったでしょう。おそろしや、おそろしや。

私は帰国の準備もしなければならないし、とか理由をつけてその場を辞しました。

ところで、その後、姐姐たちは家で旦那さんと喧嘩になったのだといいます。遅くまで酒を飲みすぎたのが原因ではないのです。そんな楽しそうな宴会に、なぜ俺を誘ってくれなかったんだ?ということのようです。おそろしや、おそろしや。

 

5.延辺断片

 両替がしたいので、延吉滞在中につれあいに中国銀行へ連れて行ってくれるよう頼みました。中国銀行ね・・・つれあいはタクシーの運転手に外貨両替の場所を尋ねているけど、会話がなんだか怪しい。

「中国銀行?そりゃレートが悪いよ」

「・・・へ行って、そこら辺で探せばいるよ」

「歩行街の路上にいる奴は危ない、相手にするな」

「俺から聞いたって言うなよ・・・」 

 

 一体どこへ行くつもりなんだ?もしや闇両替か、と警戒したけど、タクシーが着いたのは建設銀行でした。なんだ、普通の銀行か。「外幣服務」と書いてあるドアを入り、整理券発行機のところへ行きます。制服警官が機械の横に立って、整理券発行の手順をお客に説明していました。

何気なく「外幣服務」の窓口に行くと、なんと韓国ウォンしか取り扱っていないといいます。日本円なら中国銀行へ行ってくれ、とのこと。なんで?さっき初老の運転手は私たちを見て「日本人か」と言い、彼の弟は残留孤児で現在は大阪で暮らしている、と話したのです。日本円が使えないことを知らないのかな。

 

 ところがつれあいは、ロビーの長椅子に座っているおばさんに近づき、両替の交渉をはじめます。この人が両替商か。私が日本円を出すと、おばさんは銀行の枚数計算機にかけて金額を確かめ、レートを電卓でたたいてカバンから人民元の束を差し出しました。おお、こんな商売を銀行の中でやって大丈夫なの?

「大丈夫ですよ。だって警察官のとなりで商売しているのですよ」 

まあ、たしかに。

「運転手の言ったとおりレートがいいのね」 

つれあいも持ってきた日本円を両替しようと思ったらしい。おばさんは手持ちの人民元がなくなると、銀行の窓口で人民元の束をおろしてきた。

ここは北朝鮮にも近い延辺でしょう、スーパーKとか、偽札を掴まされる心配はないのかな?

「銀行から出し入れしているから大丈夫だよ。ただし、街なかで声をかけてくる人は危ないって」

おばさんに話を聞くと、外貨と人民元のレートの差を利用して、元高や元安で儲けを出す商売なのだという。銀行内個人トレーダーなのでしょうか。

 

 さて、両替も済んだので、若者向けの雑貨が一同に集まるファッションビルに行ってみました。

狭い通路にごちゃごちゃと小店舗が連なり、客層も中学生くらいから20代までの若い人ばかり。携帯ストラップや中国結やアクセサリー類など、チープな商品が山のように並んでいます。

その一角がつれあいの従姉妹が出している中国結やストラップの店でした。「よく来たねー、私のプレゼントだから、これも、あれも持っていって・・・」と商品を押し付けてきます。ちょ、ちょっと、それはだめですよ。ちゃんとお金を払います・・・でも、見渡してもこのチープ商品街には、どこにも値段が書いてない。

ええい、100元渡しますね・・・すると、やっぱり頼んでもいないお土産を袋にどんどん詰めてくれるのでした。続いて、別のお店で大きなサイズの中国結を見ていると、さっきの従姉妹がやってきて、

「この人たちは従姉妹だから、私に免じて安くしてあげて・・・」

と老板に訴えます。「本革の財布をプレゼントしたい」と言って財布の店をのぞくと、ここでも従姉妹が「私の従姉妹だから・・・」と値段をどんどん下げさせます。

だけど、ここにある商品はどれも定価なんてついていません。

 

 商品を包むためにばたばた探した箱も、ありあわせでサイズが合っていないのはご愛嬌。私たちは、同級生や従姉妹の親切さに感激したけれど、たぶん彼女たちも、一見さんのお客が来たならば高い言い値をつけてふっかけるのでしょう。そして、客も買い値を必死に主張するのです。疲れることだなあ。

 

 続いて子供服が並ぶ市場をぶらぶらしました。子どもによさそうなTシャツがあったので、手にとって見ると縫製が雑なこと極まりない。5元だというけれど、只でもちょっとなあ。やはり中国製なのか・・・と思いながら見ていくと、可愛い服があります。日本でも売れそうなデザインで縫製もしっかりしています。

いくら?と聞いたら、日本円で2800円くらいの値段を言ってきました。いくらなんでも市場で売っている服が日本より高いのはないでしょう。きっと、日本向け縫製工場から流れてきた服なんだろうけど・・・。

 

 中国の商品、特に衣類関係には「安かろう、悪かろう」と「いいけど、日本より高い」の2種類しかないように見える。ユニクロのように「質がよくて、値段はそこそこ」というブランドがまだ浸透していないのです。このあたり、中国商売のひとつのチャンスかも。さて、最後に革のベルトを見つけて値段交渉。もちろんノーブランドだけど、店のおばちゃんは、

「今日はお客が多くて値段交渉は疲れたよ。本当に買うつもりかい?いくらなら買うの?」

まったく商売にやる気を見せなませんでした。あーあ。

 

 最後は、延吉長途汽車站で乗り込んだバスでの出来事について。出発前の高速バスに、手になにかペラペラの冊子を抱えた中年男が入ってきて、低い声で「5元、5元」とつぶやきながら乗客にガリ版の冊子を示して通路を歩いてきます。何だろう?

ちらっと表紙を見ると、「実録!党中央権力抗争、某地区党某書記の腐敗を暴く!某重大事件の真相!」などといった不穏でセンセーショナルなタイトルが並んでいます。地下出版された反政府雑誌です。

 

 もちろん、公安に見つかったらただじゃ済みません。ところが、無関係とばかりに無視する人がある一方で、多くの乗客が何事もないかのように中年男からガリ版雑誌を受け取り、そそくさとしまい込むので驚きました。

中国政府がテレビ、新聞といったメディアを官製ニュース一色に染め、ネットの世界では、個人的なメールに政治的に微妙な語句を書き込んだだけで「警告」が発せられるほど(本当に「警告」されたときは驚いた。どこで見ているんだ)神経質に監視網を張り巡らせても、老百姓の口や耳を押さえることはできないのでしょうか。

 

 ただでさえ、地方の党・政府の腐敗がひどく、この国では農民一揆が年間数万件も起きています。社会主義を標榜し、「労働」とか「人民」といった言葉をあちこちに掲げているにも関わらず、都市戸籍と農村戸籍が差別され、圧倒的多数の農民には健康保険や年金制度といった公的セーフティネットがない。老百姓にとっては、何かあっても自助努力しかないので、中国では貯金志向が高いのでしょうか。

(ここはちょっと怒って書いています。「最も成功した社会主義国」と揶揄された日本でも最近は怪しいものだけど、それでも社会政策は中国政府よりずっと上等です)

市場経済の恩恵にあずかれない庶民には相当な不満があるのでしょう。歴代王朝が農民反乱によって倒されてきた中国、自らも腐敗した国民党を追い出して政権を打ち立てた共産党は、怒れる農民を公安権力で抑えられると思っているのでしょうか。

「老公、あなたは外国人だから関心を示しちゃだめよ。無視して」

もちろん、危ないところには近寄らないけど。



 
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