中国旅行記 浙江山海紀行(上)(2006年 浙江省) 本文へジャンプ


上海へ(2006年9月16日)


ここ数年の恒例になった10日程度の中国旅行。
2006年は春に浙江省台州へ帰った私の中国妹妹、孔さんと王さんの故郷を中秋節に訪ねた。

中部国際空港から上海浦東空港へ飛ぶ。
今回の旅は上海市の東郊外にある工業団地の町・南匯区から始まる。
空港バス乗り場から5路バスで南匯区の中心部へ。浦東空港が位置する浦東新区には、緑地帯に囲まれた高速道路が延々続き、巨大な広告看板や工場が見えるけど、どこを走っているのかさっぱり分らない。
やがて、南匯の市中心に到着、ショッピングセンターの前でバスを降りた。最近の流行なのか、中国で再開発された都市には必ず歩行街が出来ている。ここ南匯の歩行街もちょうどお昼時、大勢の人出で賑わっている。私は昼食を機内食で済ませたからいいや、早くホテルに行って荷物を下ろそう。

タクシーを拾って今夜の宿・桃園賓館へ。
上海市へ続く幹線道路沿いに立つホテルはなぜか全部緑色に塗られている。まるで日本のラ○ホテルみたいな立地と外観だ。フロントは当然というか普通、服務員が「出張で来たのか?」と聞いてくる。ロビーにはお揃いのジャージを着た、どこかの企業の新人研修らしい団体があふれている。観光地らしくないなあ。
もっとも野生動物園などの観光施設もあるらしいが、南匯区なんてほとんど聞かない地名だ。

部屋に入って近所に住む余さんに電話する。
彼女は、私が今日、上海に到着することを知っていて、私のために2日間仕事を空けてくれた。桃園賓館を予約してくれたのも余さんだ。
「ああ、上海に着きましたか。え、もう桃園賓館にいるの?私が空港まで迎えに行ったのに」
うん、余さんの旦那さんの仕事があるから、車を出せない、と聞いたので、私は1人でホテルへ来たのだった。去年の秋、上海の街中から地下鉄とタクシーで南匯を訪ねたとき、歩行街に近い火鍋店で余さん・蒋さん夫婦と酒をしこたま飲んで、ドライバーの友人に市中心まで送ってもらったことがある。
30分ほどしてロビーへ下りると、余さんと蒋さんがやってきた。1年ぶりの懐かしい再会だ。
「久しぶりですね。私はだいぶ日本語を忘れてしまいましたよ」
没関係、私の中国語が上達したからね。
「どこへ行きましょうか」
どこでもいいよ、案内してよ。

幹線道路に沿ってしゃべりながら歩いた。
そこへ蒋さんの旦那さんが原付に子どもを乗せてやって来る。
こんにちは、久しぶり。
床屋へ行くところだという。そのまま半路上のような床屋へ入ってゆき、なぜか私も散髪することになった。
「中国らしい髪型だったら、いいよね」
中国風ね・・・店主がバリカンを持ち出したので、ちょっとビビる。
あの、自然でいいです、自然な感じでお願いします。
蒋さんの小学生の男の子と、集まってきた近所の子どもたち、余さんたちがソファでわいわいしゃべりながら、私と蒋さんの旦那さんが並んで散髪している様子を見ている。
「はい、おしまい、頭を洗って」
外にある水道の蛇口をひねり、体をかがめて頭を洗う。
ワイルドだなあ。蒋さんの子どもと、その同学たちに、日本から持ってきたさるぼぼをプレゼントした。
「何、これ?」
猿の赤ちゃん、吉祥礼物だよ。
「ちゃんとありがとうって言いなさい」

蒋さんに促された子どもたちは、恥ずかしそうに「謝謝」といって、駆け出していった。
蒋さんの旦那さんは原付で家に帰り、すっきりした頭の私は余さん、蒋さんについて市場へ買物に行く。
アパートに囲まれて農貿市場があり、薄暗い電灯に照らされた市場の中に、野菜や肉、魚がコーナーごとに並んでいる。今日の夕食は2人が手料理をご馳走してくれるらしい。
「いいえ、中国では旦那が料理の腕を振るうんですよ。美味しいんだから」
男の料理が特別じゃないなんて、さすが中国、私も見習わないと。
アパートは2LDKでまあまあ広い。ここを余さんと蒋さんの2家族でシェアしている。去年来たときは、旦那さんが市内の実家に住み、奥さんが会社の寮に住む、という変わった生活をしていたが、ちょうど空いたアパートが見つかったので、引っ越してきたそうだ。
余さんの旦那さんも帰ってきて、2人の旦那さんが厨房に立った。
あの、手伝おうか。
「いいから、いいから、青木さんはこっちでVCD見ましょう」
日本では旦那が料理を作る最中、奥さんが居間でお客とテレビを見ている、なんてちょっと考えられないけど。唐揚げにした魚の餡かけをメインに、つぎつぎと美味しそうな料理がテーブルを埋めてゆく。





「遠くから来た朋友に、乾杯!」
遊びに来た会社の同僚も加わって、賑やかな夕食が始まった。
「さあ、ビールを飲んで、飲んで」
ぷはー、うまいねえ。
「料理はどうですか?」
うん、本当に美味しいです。プロ並みですね。
「じゃあ、日本で中華料理店を開こう。いい場所を紹介してよ」
いや、それを私に聞かれてもね。
「次は白酒で乾杯しよう」
いや、ちょっと待ってよ。
料理もプロ並みで酒も強いし、余さんも蒋さんもいい旦那さんに恵まれたね。
酔い覚ましがてら夜道をホテルまで一緒に歩き、また明日も会うことを約束した。
明日は2人の旦那さんとも仕事が休み、夫婦ぐるみで私に付き合ってくれると言う。ありがとう。


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上海大宴会(2006年9月17日)


翌日の朝、4人がホテルのロビーまで迎えに来てくれた。
タクシーで南匯の中心部に行き、羊の串焼きや、アイスクリームを買い食いしながら歩行街をぶらぶらする。
「私たちの買物もあるので、つまらないけど、付き合ってくださいね」
いいよ、ゆっくり用事を済ませてください。
歩行街に並んだ紳士服店や靴のディスカウントショップを何軒もはしごした。
「青木さん、どお?中国で靴を買ったほうが安いでしょう?」
まあね、でも今買物をするつもりはないし、世の東西を問わず女の人は買い物好きだなあ。
「疲れたでしょう、ちょっと早いけど食事にしましょう」

歩行街の真ん中にあるごちゃごちゃしたショッピングセンターを抜け、裏通りに出る。
地元客の猥雑な活気で溢れていながら、一方で上海の南京東路を意識して小奇麗な整備が進む歩行街と対照的に、裏通りはどこにでもある中国の路地だった。食べ物屋はいくつもあるけど、きれいなチェーン店はなく、地元の食堂といった雰囲気。こういった所のほうが、食べ物は美味しいというが・・・入口を覗いては、
「個室が空いてないから、パス」
「ここは汚い」
「冷房が効かないとね」
ガラス張りになった小奇麗な食堂があり、冷房も効いているので、5人で食卓を囲んだ。
蒋さんの旦那さんが注文する。
「まず、ビール」
えっ、昼間から飲むの?それじゃあ、旦那さん2人とも見事なビール腹になるはずだよ。
食事を終えて支払いに立とうとすると、すかさず止められる。
「青木さん、だめです。中国では私たちが支払うんですから」
ありがとう。中国の友人と会うのは楽しいけど、こうも奢ってもらってばかりでは悪いなあ。
食堂を出て、数少ない南匯の名所・鐘園を散歩する。



ミネラルウォーターを買おうよ。
「あ、だめですよ。小汚い店で売っている水は偽物です」
ペットボトルに水道水を詰めて売っているらしい。コンビニかスーパーに売られているなら、まあ大丈夫らしいけど。コンビニに入って水を買い、鐘園に入った。中国の伝統的な庭園らしく、古建築や池、川、奇怪な人工の岩山が緑豊かな柳の森の中に広がっている。









「ボートに乗りましょうか」
うん、大の大人が5人もボートに乗って、公園の池に漕ぎ出した。島を巡って複雑に入り組んだ水路を探検するみたいで楽しい。1時間も漕ぎ回って帰ってきた頃には、何だか腕も疲れたような感じがする。
余さんの携帯に電話が入り、鐘園に工場の同僚がやってきた。
「はじめまして」
王さんといい、余さんが日本語を教えている生徒だそうだ。
まだ日は高いけど、王さんも一緒にアパートへ帰る。勉強をはじめてわずか2週間、「こんにちは」「ありがとう」程度の本当にたどたどしい日本語レベルの王さんに、にわか日本語教室を開く。
そろそろ時間だよ、と声を掛けられた。
え、どこへ行くの?

今日は余さん、蒋さんが勤める会社の同僚の誕生日だそうで、近くの食堂を貸り切ってお祝いをするらしい。王さんが来たのもそのためだったか。
全部で6人、わいわいしゃべりながら、南匯工業園区の工場に囲まれた道を歩き、20人も入ればいっぱいになるだろう小さな食堂にやってきた。まだ同僚たちは集まってきていないようだ。
準備に忙しそうな厨房を通り抜け、「こっちで休んでいて」と案内されたのは、食堂の老板一家が暮らす部屋。この食堂は会社の人たちの馴染みなんだとか。
日本だったら、「休んでて」と生活の場に連れてこられることはないだろうなあ。
ベッドに腰掛けてしゃべっていると、だんだんと人が増えてきた。そのたびに腰を浮かして自己紹介する。
やがて、部屋に入りきれなくなって食堂に移動、その頃には30人くらいが、料理の並んだ2つのテーブルをぎっしり埋めていた。

かんぱーい!
特別なあいさつも、私の紹介もなく乾杯が始まってがやがやと宴会が始まりだす。
え、一体誰の誕生日なの?私が混じっていてもみんな違和感がないのかなあ。
隣にビールを注ぎあいながら、自己紹介して、余さんや王さんがフォローしてくれる。会社の同僚たちは私の来ることを知っていたみたい。
「よく南匯に来てくれました。乾杯、乾杯」











フレンドリーだなあ。
彼らの会社にも、ときどき日本から出張でやってくる人があるけど、私みたいに中国語を話す変わった日本人は珍しいらしく、みんな寄ってきて乾杯を繰り返す。
あの、今日は誰かの誕生日ではなかったの?
ああ、食べて、飲んでいるうちに、自然に中国語が舌に乗ってくる。
口が流暢になったのか、酔ぱらっているだけか?初めから無礼講の中国式宴会にすっかり馴染んで、私もテーブルからテーブルへ移りながら、初対面の人の中でしゃべり、あいづちを打ち、乾杯していた。
「青木さん、楽しいですか?こんなに馴染んでいる日本人も珍しいですね」
余さんが笑っていう。
「珍しいですね」
王さんが繰り返す。王さん、あんた意味が分かっているの?
宴もたけなわになった頃、誕生日らしくようやくケーキが登場した。巨大なバタークリームのケーキは、昔、日本にもあった甘みの濃いやつだ。ろうそくが立てられて、一気に吹き消すまでの習慣は同じ、だけど、吹き消したとたん、一気にテーブルを囲む輪が崩れて、手に手にケーキのクリームをつかんでは、隣の人になすりつけ始めた。

何だ一体?いい大人がきゃあきゃあ言いながら、周りの人を追い掛け回す。
みんな顔も髪の毛も服までもべっとりクリームがついている。なんでこんな悪ふざけするの?
「え、中国の習慣ですよ、楽しいでしょう」
余さんもきゃっきゃっと笑いながら、自分の旦那を追いかけている。
ひたすら逃げ回る私を、面白がって女の子たちが追いかけてくる。
あー、まったく、勘弁してよ。私は明日、浙江省へ行かなくちゃいけないんだから。









乱痴気騒ぎが終了した後は、当然というか店の中はぐちゃぐちゃである。
プラスチックの椅子もひっくりかえっているし、料理も散らばっている。それを、みんな我に返ったように掃除して、皿も重ねて厨房に運んでいる様子もおかしい。
だって、酔って赤い顔をした誰もが、どこかに白いクリームをつけているのだ。
「青木さん、楽しかった?」
うん、とっても。中国でこんなに歓待されるとは思わなかったよ。
「また南匯に遊びに来てくださいね」
ホテルに送ってもらいながら、こうして今回の中国旅行は始まった。



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高速バス南へ(2006年9月18日)


今日は浙江省の玉環島へ向かう日。
緑色に塗られた桃園賓館の前には上海市内と結ぶ幹線道路があり、上海駅へ向かう市バスもここを通る。私は5時半始発のバスに乗って渋滞が始まらないうちに上海駅をめざした。
上海郊外でも辺鄙な地方である南匯は、一歩工業園区から離れると、田んぼに囲まれた農家、水を湛えた運河、昔ながらの江南地方の風情が残っている。だけど、さすがというか、上海近郊の農家は違うのだ。それは庭にマイカーがある、といこと。駐車場を確保しにくい都心より、郊外住宅の方がマイカーの普及率が高いのは、中国でも事情は同じだろうか。

そういえば、余さんは自動車教習所に通っている、と言っていたなあ。彼女は日本で研修生として働いていたとはいえ、地方から出てきた老百姓である。仕事も中国では一般的な工場勤めだ。そんな人が、本気で車の購入を考えて運転免許を取る時代に、中国もなってきているのか。3年後には現金で車を買うのが目標らしい。

そんなことを考えながら、だんだん家やビルが増えて、新興住宅地や高層マンションに変わり、都心に変わっていく車窓を眺めていた。早朝とはいえ、1時間半近くかかって辿り着いた上海駅は、相変わらずごった返している。
切符を買おうと、当日近距離窓口へ向かったら、駅舎の外にテーブルが置かれて簡易切符売り場になっていた。どういう仕組みか、杭州や蘇州などの近距離切符は、ここで売り捌きをしているらしい。
すぐ出る杭州東行きはあるの?
「はい、すぐ出るのは杭州行きね」
駅は違うけど、あっという間に買えてしまった。
上海駅構内のケンタッキーでハンバーガーを買って朝食にする。

杭州行き特快で約2時間半、去年の西湖散策で訪れた杭州に到着だ。
西湖畔を一緒にそぞろ歩いた徐さんや張さんは元気にしているかな。あれから会社を辞めて、仲間同士で事業を始めた、という連絡をもらっていたが、今回は杭州で時間を作れなかった。長途汽車東站に向かうタクシーの車窓には、懐かしい杭州の街並が広がる。流れる風景を見ながら、思い出にふけって感傷的になる・・・
って、おい、この渋滞をいつになったら抜け出せるんだ。さっきから全然景色が変わっていないよ。

杭州市内はあふれる自動車で、完全に車列が動かなくなった。
信号が青に変わっても、交差点の向こうの車列はちっとも進んでいない。車線では市バスが視界を塞いで前方の状況が分からず本当にいらいらする。ああ、列車を1本ずらしてでも、杭州東駅行きに乗ればよかったかな。タクシー内に流れるFMを聞きながら、乗り換えのバスの時間をずっと気にしていた。

ようやくじりじり進みながら杭州長途汽車東站に到着、荷物をトランクから出したら、弾かれるように切符窓口へ走る。よかった、玉環行き高速バスは、30分後だった。バスターミナル内の自助餐で学校給食のような配膳の定食を食べ、急いでバス乗り場へ向かう。

浙江省内を縦横に走る高速バスは、パンや水、新聞まで乗客向けサービスが行き届いている。焦って昼食を掻き込むことはなかったかな。まあ、席は確保したし、パンと水は荷物にしまってひと安心。あとは4時間ほどで玉環である。
バスは杭州市内を抜けて高速道路に乗り、一路南を目指す。
海に迫った山地が多い浙江省だけあって、すぐに山間部に入り、トンネルや橋をびゅんびゅん走り抜けてゆく。天台宗の発祥の地、浙江省天台山のサービスエリアで休憩があり、去年も訪れた徐さんや張さんの故郷・臨海市を経て、さらに南へ走る。

温嶺市という大きそうな町で高速道路を下りて、山間の道から漁港が点在する海岸沿いをバスは行く。浙江省は中国の中でも経済成長のトップを走る先進地帯であり、地図の上では辺境のように見える台州や温州の辺りには、幹線道路沿いに造成された開発区に、巨大な工場が次々に現れる。さすが世界の工場だ。やがて、泥のような海の湾を見て、ちょっと街らしい一角に入ると玉環県の県城。長い道のりだった。
バスが汽車站の駐車場に止まり、荷物を持って降りると、そこに孔さんと王さんが待っていてくれた。
おー、好久不見、会いたかったよ。
「青木さん、遠いところをようこそ!訪ねて来てくれて嬉しいです」
2人は私を迎えるために、3日間の休みをとったそうだ。
そんな、悪かったね。
「いいんですよ。いつもは日曜日だって仕事なんです。今回は大切な日本のお兄さんを案内するからって、休みをもらったんですよ」

2人の家郷はここ玉環島だけど、孔さんは今、バスで1時間ほど離れた隣町・温嶺市のアパートに住んで、携帯電話の営業員をしている。それで、私が来るのに合わせて玉環に帰り、王さんの家に泊まるのだとか。
じゃあ2人が会うのも久しぶりなんだね。
「そうですね。日本から帰国して、長い時間会うのは初めてじゃないかな」
思い出話をしながらミニバスに乗り換えて、王さんの家に近い町・坎門鎮に向かう。トンネルを抜けて坎門の街中に入ると、今度はミニバスに阮さんが乗ってきた。
「青木さん、久しぶり!」
おお、阮さん、君にも会えるなんて思わなかったよ。
「妹から聞いたんですよ、私は杭州にいますが、中秋節は坎門鎮にある実家の月餅屋が忙しいから、手伝いに来たんです」
そうか、偶然だね。ところで妹の阮さんは?
「妹は工業団地で日本語通訳をしています。夕方には仕事が終わって私たちに合流しますよ」
そうか、みんな中国へ帰った後も元気でいるんだね。安心したよ。



終点の坎門でバスを降りる。女の子3人に連れられて通りの向こうにある大きなホテルへ。紅宝石渡暇大酒店という、周囲に広がるひなびた漁港の風情から浮いたような、そこだけマカオから取って付けたような豪華ホテルだ。フロントで、3泊分のデポジットはもう支払ってある、と告げられた。
え、だめだって、私が出さなくちゃ。
「いいんです。私たちに任せてください」と王さん。
そんな、私は女の子に奢ってもらおうと来たんじゃないのだから。

ホテルの部屋に入って夕方まで時間をつぶす。そうだ、日本から携えてきたお土産も渡さないとね。
そろそろ外も薄暗くなってくる頃、ホテルから通りを挟んだ向こう側に、ずらりと海鮮レストランが開店する。歩道いっぱいにオープンエアの椅子とテーブルが並べられ、客はそれぞれ好きな店から料理を取って外で食べるのが、漁港風なのだという。へえ、お洒落だねえ。
さっそく屋外の海鮮レストラン街へ。
店の前には水槽や平台が並べられ、今日取れた新鮮な魚介類が跳ねている。その中から「これと、この魚と、あ、これも名物ですよ」と次々に指差して注文していく。
「これくらいでいいでしょう」
あの、頼みすぎじゃないの?
「いいの、いいの、たくさん食べてください」
氷的!と念を押したからビールもよく冷えているし、テーブルについてかんぱーい!
みんなに会えて本当に幸せだよ。





「青木さん、美味しいですか」
「これも美味しいですか」
3人に顔を覗き込まれるので、嬉しいというか、くすぐったいというか、何というか・・・
「青木さん、美女に囲まれてにやけっぱなしですね」
その流暢な日本語は・・・おお、阮さんの妹だ。
久しぶり、工業団地の通訳をやっているの?努力したね。
「まだまだ、これからですよ」
日本へ研修に来る前は、坎門の幼稚園の先生だった阮姉妹の妹は、中国へ帰った今では、日本語の実力が認められて通訳の仕事につき、次に正式な日本語資格を目指しているのだという。すごいなあ。
楽しい時間はあっという間にすぎ、もう9時前。
「私たちは実家の手伝いがあるので、先に帰ります」
それじゃあ、みんなで阮姉妹を送って行くよ。ミニバスで阮さんの実家、月餅屋の近くへ。
「みんなは明日どうするの?」
温州の雁蕩山へ行くよ。
「残念、一緒に行きたかったなあ。そうだ、中秋節の月餅をプレゼントしますよ。日本へ帰る前に寄ってください。じゃあ、お休みなさい」



阮姉妹を送ったあと、王さんのお母さんが店を出しているという夜市へ。道端にVCDやゲームソフトを並べて売っている。「お母さん、こちらが私の日本哥、青木さん」王さんに紹介してもらった。
「こんにちは、始めまして。日本では娘さんに中国語を教えてもらって・・・」
なんだか恥ずかしいなあ。
ホテルに向かって3人で歩く。ちょっとビールを飲みすぎたかな。
「青木さん、疲れたでしょう。洗髪でリラックスしてください」
王さんが働く美容院に誘われた。美容院って女の人が行くところじゃないの?
「洗髪とマッサージなら、男の人でもよく行きますよ」

彼女の仕事は美容院の洗髪係、時間も朝から夜12時まで立ち詰めなのだという。大変な労働だね。
中国の美容院兼王さんの職場見学。美容院でも老板や同僚たちに日本哥哥だと紹介されて、ちょっと気恥ずかしい。王さんは休みを取っているはずなのに、私に洗髪と頭から肩のマッサージをしてくれる。
今日はずっとバスの中だったから、うーん、極楽、極楽。孔さんも並んで洗髪とマッサージを受けている。
ああ、本当に今日は楽しかったよ。ありがとうね。
「明日は雁蕩山へ行くので、朝6時に迎えに来ます。早起きして下さいね」
あなたたちは早すぎない?
「私たちは大丈夫ですよ」
孔さんと王さんは、ホテルの部屋まで私を送ってくれた後、漁港のはずれにある家に帰って行った。
時間はもう12時近く。玉環はいい所だなあ。



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雁蕩山(2006年9月19日)


中国浙江省南部の小さな島、玉環の朝。
普通の観光旅行ではまず来ることはないであろう辺境の島の空は、今日もよく晴れている。
夕べは遅くまで私に付き合ってくれたのに、朝6時には孔さんと王さんが迎えに来てくれた。朝食はホテルの近く、県城行きのミニバスが止まっている辺りの、いかにも中国らしい食堂でとる。路上にオープンエアのテーブルや椅子を並べ、店先で包子の蒸篭や、ゆで卵が美味しそうな湯気を上げていた。



「青木さん、何が食べたいですか」
お粥と南瓜餅がいいな、
やって来た服務員に王さんが小銭を払った。
あ、私が払うよ。
「いいの、いいの、玉環では私たちに任せてください」
そんな、悪いよ。
昨日のミニバス代に始まって、ホテルの圧銭、夕べの飲み食いまで、彼女たちに払ってもらっていた。中国の習慣だと分かっているけれど、女の子に払わせるなんて、すごく申し訳ない。
ところで、雁蕩山へはどうやって行くの?
「私たちも初めて行くので、車を頼んであります。もうすぐ来ますよ」
玉環に限らず、中国では軽バンや軽トラで稼ぐ人が多く、まとまった人数や荷物がある時は、知りあいの運転手を頼んで白タクをしてもらうと安く上がるという。王さんは友達の紹介で車を手配したらしい。
「先に買い物をしましょう」
雑貨店で遠足用にミネラルウォーターや菓子を買って外に出ると、変わった形の軽自動車が止まっていた。あれかな。ちょうど日本の軽トラックを4ドアにして、荷台を後ろへぐっと押し詰めた感じの、軽バンと軽トラの中間みたいな車だ。

女の子2人が後ろに座り、私は助手席へ。
県城から来たおじさん運転手は、実は遠く湖北省武漢から車1台で稼ぎに来た人。それでも雁蕩山の事情は私たちよりも詳しそうだ。もうすぐ国慶節の旅行シーズンが始まれば、玉環から観光地の雁蕩山へ移り、観光客の送迎をして稼ぐのだという。
さあ、車に乗って出発、軽バンにはもちろんエアコンなんかついていないから、窓を全開にする。びゅうびゅう飛び込んでくる風が気持ちいい。ただ、県城と結ぶトンネルは排気ガスが充満していていやだな、慌てて窓を閉めた。
県城のロータリーをぐるりと回って、玉環島の外へ。漁港を抜け、山に囲まれた農村地帯が玉環県と温嶺市の境にあたり、「歓迎光臨玉環県」のアーチが国道を跨いでいる。
軽バンは国道をはずれて、山すその道を走った。
さっき通り過ぎた玉環島の山並みが向こうに見えている。農村をつなぐ道は至るところ工事中で、窓から吹き込む風に、突然砂埃が混じる。玉環から温州の雁蕩山までは約100km、2時間ほどかかるそうだ。
私が飽きずに景色を眺めているうち、後ろの2人は眠ってしまっていた。
山の中だと思ったけど、地図によれば、軽バンは楽清湾に沿って走っていたようだ。その海辺がようやく見えてきた。目の前に上海と温州を結ぶ高速道路が現れ、周囲の様子も少し街っぽく開けてくる。



「あれが雁蕩山だよ」
運転手が指を差す方向には、おお、いかにも中国の山水画らしい岩山が見えだした。
山に入る前に、ガソリンスタンドへ給油に立ち寄る。眠っている2人を起こして、トイレを済ませると、軽バンはいよいよ雁蕩山エリアに分け入ってゆく。ひなびた農村の道を進むと、「雁蕩山」の碑坊が現れ、その奥には、谷沿いにずらりとホテルが並んで、その様子は日本の温泉街にそっくりだ。
へえ、こんなに大きな観光地だとは知らなかった。日本ではガイドブックにさえ載っていないのに。
「雁蕩山は中国十大名山のひとつ、古くから東南第一山と呼ばれて有名だよ。国慶節には全国からの観光客であふれるんだ」
とおじさん運転手が言う。私たちは国慶節の1週間前にやってきた。ちょうど空いている時でラッキーだった。
ホテル街を過ぎると、ひなびた山間の集落になる。
雁蕩山といっても、山中のエリアはかなり広いので、景区と景区を結ぶミニバスがぐるぐる周遊している。そういったミニバスとすれ違いながら、軽バンが進むと、目の前に巨大な岩峰の眺めが次々に広がってきた。
これはすごいなあ。上高地、あるいはアメリカのヨセミテ国立公園のような感じだけど、いかにも仙人が住みそうな松を生やした岩峰が、棚田が広がる農村の上に、どーんとそびえているのだ。農家の裏手に巨大な岩壁が突っ立っている。







さて、ここ雁蕩山は、中国の国家AAAAA級風景名勝区のひとつ。
山頂の湖に雁が遊ぶ様子から「雁蕩山」と名づけられた。山水画そのままの風景は古くから文人墨客を魅了してきたが、最近では特撮を使った武侠ドラマのロケ地としても使われているという。中国には黄山とか桂林とか、こうした山水の地が多いけれど、どうやって出来たのか、ここ雁蕩山も浮世離れした山並みだ。

景色に見とれているうち、軽バンはトンネルを越えて、見所のひとつ大龍湫景区へ到着した。
羅漢寺という小さなお寺の門前が駐車場と入場券売り場になっている。錦渓という小さな川を遡った先に、中国有数の滝があるのだという。往復2時間で食事を済ませてくる、と運転手に伝えて、私たち3人は歩いていった。

入場ゲートまでは、お土産売りの屋台が並び、ゲートから先が谷沿いに石畳の道が延びている。
見所にはプレートがあって、「あれは虎岩、あれは獅子岩」などと、名称と謂れが解説されていた。それによれば、雁蕩山の奇妙な地形は、1億年前の火山噴火によって生じたらしい。溶岩が冷えて固まった後、風雨に浸食され、固い部分だけが岩壁や岩峰として残ったのだとか。



谷の中間に、休憩所があってお茶を売っている。
看板には「綱渡りを見る絶好の場所」とある。
綱渡り?
時計を見るとちょうど開演の時間なので、料金を払って椅子を借りた。見るだけなら只だけど、絶好の観覧ポイントを借りると有料なのだとか。お茶は高かったので、ペットボトルの水を飲みながら空を見上げる。
切り立った断崖があり、空中高く谷の対岸までワイヤーが張られているのが見えた。
何、あそこを渡るの?







ややあって、1台の自転車が空中を渡ってくる。
中間地点で止まると、2人組で綱渡りや、倒立の曲芸を始めた。
おお、すごい、すごい。
遠すぎて音も聞こえないが、無音の中、谷間の空では淡々と曲芸が繰り広げられている。
もし突風が吹いてきたらどうするのだろう。しばらくすると、「歓迎光臨」の幟旗がワイヤーからひらめき、再び無音の中を曲芸師たちは戻っていった。
中国はやることが違うなあ。岩山の谷があって、雑技の伝統があるからといって、だれが岩山の空中にワイヤーを渡して綱渡りを見せようと思うのだろう。

さらに進むと、樹林に囲まれた谷間が狭まり、石の階段を上っていく。
周囲をぐるりと岩壁に取り囲まれた井戸の底のような空間が現れ、驚くほど透明な池から、あふれた水が錦渓となって流れ出している。大龍湫である。
滝は・・・おお、目もくらむような高さからシャワーのように水が落ちている。
ザバザバと落下している訳でなく、風になびいてシャワーのような繊細な水滴が池に向かって降ってくる。
古人は「瀑布でなく龍の化身である」といい、「大龍湫を書きたいが、書き出しが何とも難しい」と言った。
カメラを滝に向けていると、観光客のおじさんが
「こっちへ来てごらん」。
呼ばれて滝の裏へ回ると、おお、降ってくる水が太陽を浴びて光のシャワーになっている。
「すごいだろう」
はい、これはきれいですね。














滝の真下では、観光客も修行中?の坊さんたちも、みんなはしゃいでいた。
帰り道に、錦渓沿いのレストランで昼食をとった。
この辺りの形式なのか、店先の水槽から好きな食材を選んで、料理してもらうやり方。テーブルと椅子は、大龍湫から流れる水辺にある。風景を見ながら、谷間の風に吹かれて、まるでピクニック気分だ。

駐車場に戻ると、軽バンの運転手が待っていてくれた。次は霊峰景区へ向かう。
トンネルをくぐって再び岩峰の下に広がる農村に戻り、集落の中ほどから、急斜面に作られた道をぐいぐいとヘアピンカーブを繰り返して登っていく。
霊峰には山麓の村からロープウェイが通じているが、車でもロープウェイの山頂駅まで行くことができる。集落から見上げた岩峰を回りこむ辺りに駐車場があって、そこが霊峰景区の入口だった。
車道はさらに続いているけど、物々しい「軍事管区」の文字と、立ち入り禁止のゲートが遮っている。谷の奥にそびえる頂上には、レーダー基地が太陽を反射して光っていた。場所が場所だけに、台湾上空を睨んでいるのだろう。

さて、霊峰景区の入場門を通って、岩壁に沿った歩道を歩く。
ここは、天空からすっぱり切れ落ちた岩壁にトンネルを掘ったり、吊橋を懸けて作った水平歩道で、よく昔の人がこんな場所に道を作る気になったものだ、と感心するほどだ。
自然の洞窟には、山水画そのままに、仏教や道教の祠が建てられている。
高さがどれくらいあるだろうか、崖下の村からバイクの音が聞こえ、こんな山中なのに、すぐ近くまで耕された急斜面の畑からは、農作業の人の話し声まで聞こえるので、不思議な感じだ。さっき行った大龍湫では、谷間から岩峰を仰いでいたが、ここでは林立する岩峰群の中腹にいるから、迫力がより一層増してくる。









「えー、これを渡るの?」
王さんが吊橋の手前ですくんでしまった。断崖と断崖をつないで懸けられた吊橋は、確かに高いが頑丈な造りになっている。
「私は怖いのがだめ。日本でスキーもだめだったでしょ」
大丈夫だって、手をつないであげるから。孔さんと私で、王さんの両手をつないで、3人で渡る。
ほら、大丈夫だったでしょ。
「でも、帰りはまた吊橋を渡るんでしょう?いやだよお」



もう、手が掛かるなあ。
どこまで進んでも、まだ先に道が延びているようなので、適当な場所で折り返し、運転手が待つ駐車場まで、再び吊橋で手をつないで戻っていった。

もう午後3時、いい時間だ。
軽バンは遠ざかってゆく雁蕩山の岩峰に名残を惜しみながら、玉環へ向けて走ってゆく。国道を離れて山間の農村をつなぐ街道沿いの小さな街、ふいに人だかりが多い場所があった。おや、通りに面した半野外の劇場で、京劇をやっている。
「ああ、この地方の伝統的な劇ですよ。見てみますか」
路肩に軽バンを止めて、観客席の一番後ろで立ち見をした。
広場には近所の住民たちがぎっしり座って、わいわいがやがや劇を楽しんでいる。観客席の後ろには、日本の縁日に出てくるような屋台が並んで、焼トウモロコシや子どもの玩具を売っている。





「青木さん、これ食べましょう」
小麦粉の生地を薄く広げて焼き、肉や卵を落としてくるっと丸めるクレープみたいな食べ物。
うん、美味しい、美味しい。
「青木さん、これも買って帰りましょう」
随分走って玉環の県城近くまで来たときには、街道沿いに山積で売られている文旦を買った。
文旦は日本で買うとすごく高いよ。
「ここは名産地ですからね。たくさん買ってお土産にしてください」
あの、生ものは持ち帰れないんだよ。
「そうですか、じゃあ、ホテルで食べてください」
県城を過ぎて坎門鎮のホテルへ戻ってきた。部屋で分厚い文旦の皮をむいて3人で食べる。グレープフルーツのような爽やかな甘酸っぱさが口いっぱいに広がる、おいしい文旦だ。



あんまり食べ過ぎると、夕食が食べられなくなるよ。
「そうですね、そろそろ夕食に出かけましょうか」
まず、坎門鎮の中ほどにある写真店へ行ってデジカメ写真の現像を頼んだ。
ホテル前の海鮮レストラン街は昨日来たので、今日は街なかの四川火鍋店で熱々の火鍋を囲み、楽しかった雁蕩山の1日を語り合う。食後に写真店で写真を受け取って2人にプレゼントした。現地ですぐ現像できるから、わざわざ日本へ帰って写真を送る必要もないんだ。便利な時代だなあ。
孔さん、王さんは、明日は玉環の県城を案内してくれる。
また朝早いようだから、今日はこれで。気をつけて帰ってね。



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浙江山海紀行(下)へ続く



   
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