中国旅行記 山東秋天(上)(2004年 山東省) 本文へジャンプ


ビールの都(2004年9月18日)


2004年は中国づいていた年。
春の江蘇省に続いて、秋には山東省を旅することになった。
岐阜日中協会で私と仲が良かった留学生の謝さんが春に帰国し、地元の山東省済南市で通訳の仕事を始めていた。それで、前回の江蘇省旅行記「江南之春」の際には、遊びに来るよう誘ってくれたのだけど、私もそんなに時間がなくて、つい後回しになっていた。
上海から電話して、謝さんのとても残念がる声を聞いたら、思わず懐かしさがこみあげてくる。
そこで、秋に改めて山東省を訪ねることになったのだ。

9月に連休が2回連続するので、その間を職場の夏休みでつないで9日間の山東周遊を考えた。
中国は国慶節前なので、もちろん謝さんには仕事がある。ちょうど彼女の出張に合わせ、青島で再会して、その後に済南でも会うことにした。
私は前回初めて長江をフェリーで越えたけれど、それまで行ったことのある中国といえば、上海や江蘇省、江西省といった、いわゆる江南地方ばかり。日本と気候風土の似た、水と緑あふれる風景が広がっている。
一方、山東省といえば、華北地方の乾いた平原を連想させ、どんな風景が見られるのか楽しみだった。

初の中国北方上陸は大連空港から。
名古屋空港発の南方航空大連便で一気に中国東北地方へ飛び、国内線で渤海を飛び越えて遼東半島から山東半島まで移動する。大連上空から見えていた緑の山々が、山東半島上空では一面の禿山に変わり、どこまでも畑の続く平原に島のような町や村が点在している。華北地方だ。
大連からわずか1時間ほどで飛行機は機首を下げ、青島空港に着陸した。
スーツケースを受け取って出迎えロビーに出ると、懐かしい謝さんが待っていてくれた。
好久不見!元気そうでよかった。
展覧会の仕事帰りに駆けつけたという謝さんと、空港バスで市内へ向かう。
夕日に照らされた低層住宅や工場が建ち並ぶ郊外は、ドイツ風の街並みと言われる青島にしては泥臭く、中国そのものの風景に見える。まあ、中国の都市郊外はこんなものか。

青島の宿は市の中心部から少し離れた開発区にある3星級の東方航空酒店。
航空会社のホテルだから、てっきり日航ホテルのようなゴージャスなものか、と想像したけれど、実際に見てみると外観もサービスも垢抜けない中国の中級ホテルだった。
部屋に荷物を置いて謝さんと夕食に出かけた。
辺りは開発区で、何車線もある幹線道路を挟んで高層ビルに囲まれた芝生広場が広がっている。辺りはすっかり暗くなっているけれど、芝生広場にはライトアップされた現代アート風のオブジェがまぶしく輝いている。その向こうには海があるようだった。

高層ビルの谷間に延びたレストラン街にもネオンがきらめいている。
その一角に魯菜と謳ったレストランがあった。魯は山東省の別称、つまり山東料理レストランだ。実は中国四大料理のひとつである北京料理は、山東省から北京の宮廷に呼び寄せられた料理人たちによって発展したのだという。由緒正しい料理なのだ。
青島は港町らしく海鮮料理が美味しい。
レストランに入ると、厨房の入口にずらりと水槽やタライが並び、魚や貝、その他の食材が活きの良いまま客の注文を待っている。
謝さんは生簀を差して「これ、これ」と注文していった。
ふーん、食材を差して注文していく方式は初めて見た。いかにも中国らしいなあ。





そうそう、ここまで来たなら青島ビールを飲まないとね。
すると、私たちの前に巨大なジョッキ状のビールがどーん、と置かれた。
いや、さすがにビールの都・青島でも、この量はないでしょ。
謝さんが笑って言う。
「これ、1人分のジョッキじゃなくて、2人分のピッチャーですよ」
なんだ、2人分かあ。改めて、再会を祝って乾杯し、テーブルいっぱいに運ばれてきた海鮮料理と、本場の青島ビールをお腹いっぱい味わったのだった。ふう。


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青島散歩(2004年9月19日)


2日目の朝、私たちは市中心部へ青島観光に出かけた。
謝さんは午後の列車で済南へ戻らなくてはいけない。それで、一緒にいるのは昼食までの時間である。
市バスは個性のない中国の都市といった感じの開発区を抜けて、丘陵地帯の松林を走ってゆく。
やがて緑の中にヨーロッパ風の別荘が点在するようになり、海辺を見下ろすホテルや海水浴場といった保養地らしい雰囲気が出てくる。散歩を楽しむ観光客の姿も多い。湾曲した海岸線に沿ってうねうね続く丘陵地を走り、市街地に入ると、やはり青島は他の中国地方都市と全く違った顔を持っていた。
おお、見事にドイツ風の街並みだ。







清朝末期、中国が欧米列強の草刈場になっていた時代、列強国の中では新興のドイツ帝国も中国侵略の野望を抱き、山東半島の利権を手に入れた。その拠点が租借地・青島である。
近くの威海衛には新興ドイツに脅威を抱く大英帝国も勢力を伸ばしており、両国は山東半島で対立していた。結局、第一次世界大戦が始まると、日英同盟を結んでいた日本軍が青島のドイツ軍を攻撃し、ドイツは中国から撤退することになる。
そのため、ドイツの青島統治の歴史はわずかな時間だったが、街並みは100年近く変わらぬヨーロッパ風の雰囲気を保ち、青島ビールは世界に知られている。
ついこの間まで英国統治領だった香港が、実はこてこての中国の下町風か、ヨーロッパ臭のない超現代的な高層ビル群で占められているのと対照的である。





市バスを降りて海岸へ行ってみる。
海に突き出した桟橋の先には中国風の楼閣が立ち、市内有数の観光スポットらしく各地からやってきた中国人観光客でごったがえしている。しかし、ねずみ色によどんだ海面は、急激な工業化で環境保護が追いついていない中国であれば、期待してもしかたないというもの。ここは桟橋の先から、ヨーロッパ風建築と現代的高層ビルが共存する青島の都市風景を眺める場所なのだ。



って、海岸の磯でビーチパラソルを広げて、しゃがんでいる人たち、いったい何をしているの?
潮干狩り?
びっくりするほど大勢の人が、観光そっちのけで貝取りに夢中になっている。
これは中国らしい風景だ。

海岸から旧市街の坂道を登って丘の上へ。
赤い瓦屋根とクリーム色の外観がいかにもヨーロッパの港町らしい坂道の光景で、漢字の看板と、通行人がいなかったら中国にいることを忘れてしまいそうだ。丘の上には双塔のキリスト教会がある。今日は無料で公開させているらしいので、中を覗いたら結婚式の真っ最中だった。





市バスで開発区方面へ少し戻る。
さっきバスの車窓から見えた海沿いに松林が広がる丘陵地帯は八大関。
ドイツ人の別荘地として開発された場所で、古い洋館が点在している。海岸へ下りていくと、雰囲気のあるウッドデッキが遊歩道として整備され、ここではおなじみの結婚写真の戸外撮影が何組も行われていた。
真剣なカップルの様子をうらやましそうに眺めつつ、海岸を散歩する。
謝さんがいてよかった。1人きりだったら寂しかっただろうなあ。





木製の操り人形や、陶器のビールジョッキなどドイツ風を意識したみやげ物が並ぶ屋台が多い。
日本でも神戸の異人街ではこんな感じかなあ。
八大関の別荘通りを抜けて、市バスでさっきの市中心へ。

バスを降りると、近くのホテル玄関から激しい爆竹の音が響き、歩道まで大勢の人垣ができている。
ここでも結婚式だった。今日はお日柄がいいのかしらん。
2頭の獅子舞がアクロバチックな舞を披露して「百年和合」などのおめでたい言葉が書かれた垂れ幕を披露している。その真ん中に立っているのが新郎新婦か。中国の結婚披露宴は派手だなあ。





海岸通りの向こうに海と桟橋が見渡せる自助餐で昼食をとったあと、済南へ帰る謝さんを青島駅へ送っていった。ドイツの教会風の塔を持つ青島駅舎はメルヘンチックで可愛らしい。明日から仕事がある謝さんとはまたお別れ、3日後に私が済南へ到着したとき再会する予定だ。
「青木さん、無事に旅行を楽しんでくださいね」
さよなら、また済南で会おうね。



謝さんの姿が改札の向こうに見えなくなって、私の1人旅が始まった。
今日何度か行ったり来たりしている市バスに乗って八大関の手前で下りる。この辺りも海を見下ろす丘の上にドイツ風の民家が多いが、やや寂れた風情が漂っている。坂道を港の方へ歩いていくと、あった、「海軍博物館」だ。さっき、バスの中から海軍博物館の文字と係留された軍艦が見えて気になっていた場所だ。
さすがに謝さんとここへ来る訳にはいかないからね。





いかに愛国主義教育華やかな中国といえども、海軍博物館はひっそりとして観光客の姿も少ない。
ちらほら姿が見えるお客も八大関の海岸や、新婚さんでいっぱいだった市中心部とは装いが違う。まあ、私も物好きという点では同類か。

昔の兵営をそのまま博物館にしているようで、海軍博物館の外見は飾り気も素っ気もない。
だけど、それがリアルでどきどきする。別料金の潜水艦見学と合わせて聯票を購入、よかった、身分証を見せろ、とか誰何されなくて。
なんで外国人が軍艦を見たがるんだ、とか聞かれても困ってしまうからね。







港にはソ連製のミサイル駆逐艦が2隻と、揚陸艦が係留され、自由に乗艦して見学ができる。
とはいっても、第二次世界大戦中に就役した古い軍艦だ。軍艦越しに青島のビル群が遠くに見えている。
駆逐艦を降りて、少し離れた潜水艦へ。ここは別票になっているが、乗艦口の桟橋にある小屋で手荷物を預けなければならないのだ。カメラも水上艦船は自由に撮影できるけど、潜水艦内部だけは撮影禁止。
老朽化して博物館で展示されているのに軍事機密なんだろうか。



さて、どきどきしながら潜水艦に潜入する。
うわあ、聞いてはいたけど狭いなあ。通路を挟んで機械類や魚雷や、さまざまな装置が詰まっていて窒息しそうな圧迫感がある。兵士のベッドなんて、こんな蚕棚みたいな所に、どうやって体を押し込んで寝られるのだろう?艦長や政治委員だけが自室を与えられているが、わずかなスペースに机と椅子が嵌め込まれてあるだけで、刑務所の独房の方がよっぽど開放感がありそうだ。

通路は数箇所で密閉扉に区切られており、浸水した際は閉じられることになる。
うーん、たとえ閉所恐怖症でなくても、潜水艦だけはいやだなあ。

陸上に上がり、兵営の敷地に展示された戦車や軍用機を見て博物館を後にする。
私はミュージアムショップで中国軍の帽子とか軍用品がないかなあ、と思っていたのだが、残念ながらめぼしいものはなし。軍艦のプラモデルとか、双眼鏡とか、そういったものばかりだった。





市バスで開発区の東航ホテルへ戻る。
夕食はホテルに近いショッピングセンターのレストラン街に行った。
おや、日本にそっくりなファミリーレストランがある。入口に展示されたサンプル食品に惹かれた私は、迷わず洋風のレストランに入っていった。
青島はドイツの名残がある街、洋食は期待できるかも。
ピザとパスタ、青島ビールで合わせて80元は、中国の物価にしたらやたら高い。なのに味の方は・・・
中国で洋食に期待するのはやめておこう。明日は向かいにある大娘水餃にしよう。


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労山ツアー(2004年9月20日)


青島3日目。
今日は花崗岩の奇峰怪石が連なる青島郊外の名山・労山を訪ねる。
その昔、仙人が修行したという伝説があり、山中に寺院も多く、道教や仏教の聖地として名高い場所である。メルヘンな青島の近くに、中国っぽい仙人の山があるのも面白い。
なんでも、かつて青島ビールは花崗岩質の労山でろ過された清らかな湧水で作られていたそうな。
名水あるところ名ビール有り、青島ビールの工場が移転した現在でも、労山ビールというブランドの工場が山麓にある。私も山東省滞在中はよく口にした。すっきりした口当たりのおいしいビールだった。

とはいえ、労山は市街から約1時間離れた場所にあって、山中も広く、交通の便はよくない。
そこで、ホテルにチェックインするときに1日ツアーに参加を申し込んでおいた。
朝8時、ホテルのロビーで待っていると、旅行社の小旗を持ったガイドが入ってきた。
あ、あれかな。ガイドさんに声をかける。
「あなたはどこの人?日本人?中国語は分かりますか?」
びっくりしたようなガイドさんに大丈夫だと言うと、安心した顔になった。
このホテルからは、おばさんと娘の2人連れもツアーに参加した。
マイクロバスに乗って出発、開発区の別のホテルに寄って数人のツアー客を乗せた後、マイクロバスは市中心部へ向かって松林の丘陵を抜けてゆく。

「みなさん、労山1日ツアーへようこそ。今日は上海と貴州省と四川省と河南省と日本から来たみなさんを、青島が誇る名所へご案内します」
さっきの母娘は四川省から来たらしい。
まずはドイツ風の街並みが残る市中心部をぐるりと車窓観光したあと、かなり急な坂道をぐいぐい登って小高い丘に出た。頂上に立つ青島テレビ塔である。
今日はあいにくの曇り空、テレビ塔からの眺めは低く垂れ込めた雲や霧によってあまりよくない。
ヨーロッパのような街並みの市中心部と、丘の裏手に広がる青島港の工業地帯が対照的な光景だった。
マイクロバスへ戻ると、ここで新たなツアー客1名が合流し、なぜかガイドさんも交代した。
新しいツアー客は台湾の人だという。
交代したガイドさんはよくしゃべる人で、さかんに私に向かって質問をぶつける。
「あなたは仕事で青島へ来たの?」
いいえ、観光で。青島はきれいな街だね、他の中国の都市とは全然違うね。
青島を褒めると、ちょっと得意げな感じになる。
「青島は韓国人が多いよ。私は韓国人をよく案内するけど、日本人は珍しいね」
まあ、韓国は目と鼻の先だからねえ、大連なんかはどうなの?
「大連では日本人が多いね」



マイクロバスは丘を下って青島の遊覧船港へ。
次は遊覧船に乗り換えて青島を海上観光するのだとか。
ちょっと、労山はどうなったの?
小雨交じりの強風が吹きつけ、波がざばざばと立つ海上を、遊覧船は突っ走った。
昨日行った桟橋や、八大関の海岸線や、海軍博物館などを海から眺める。もう少し天気がよければなあ。

遊覧船からマイクロバスに戻ると、ようやく労山へ走り出す。
今朝出発した開発区を通り越し、郊外の団地を過ぎ、だんだん田舎っぽく変わる国道を進む。行く手にそれらしい岩山が見えてきた頃、海辺のドライブインで休憩になった。
ガイドさんから「真珠の優待割引券」を渡されてお土産屋の中へ。
おいおい、まだ労山に着いてもいないのに、もうお土産屋なの?
30分近くも買い物の時間があるのであきれて外で待っていると、今度は大型バスがやってきた。
ガイドさんが言うには、労山へはこのバスに乗り換えて向かうのだとか。
いくつかのツアーをここで合流させて大型バスに乗せるらしい。

席がいっぱいになったので、私は遊覧船から仲良くなった台湾人の初老の男性の隣に座った。
名刺をもらったら「上海財経大学教授」とある。えらい先生なんだ。
上海の大学には単身赴任で来ており、家族は台北に住んでいるのだとか。
山東へ1人旅に来たという教授と、同じ1人旅の私は、昼食も一緒に囲んで旅の話題で盛り上がった。





やがて、岩場に波が打ちつける海辺の広場に到着、ここが労山の入口にあたる。
朝はどんより曇っていた空がみるみる晴れて、雲間から明るい日差しが花崗岩の岩山を照らすようになってきた。ラッキー、ちょうど山に来た頃に晴れるなんて、よほど日頃の行いがよかったらしい。

海岸からぐいぐい九十九折の坂道を登って見晴らしの良い峠に出ると、ぱあっと明るい海原の風景が開けた。赤い屋根の小さな家が密集する漁村は、なんだかヨーロッパの田舎みたいだ。
さすが青島、漁村まで中国離れしている。



労山の観光リフトにやってきた。
花崗岩が風化して出来た労山の奇岩怪石を眺めながら、リフトで岩山の中腹まで行くことができる。
ここからも絶景だけど、私はさらに絶景を目指して山頂を目指した。薄暗い洞窟に入り石の階段を登ってゆく、古人が詩文を彫り付けた岩の上に出ると、木々の間から小さく海辺の村々が見えていた。

一線天と名づけられた狭い岩間を抜け、さらに高みへ辿ると頂上だ。
たぶん日本的感覚だと千畳岩とか名づけられそうな巨大な傾斜した一枚岩が広がり、眼下には弧を描く海岸線と紺碧の東シナ海が広がっている。
背景に続く山々は、風化した花崗岩独特の奇妙な岩山、仙人が暮らすのにぴったりの山だろう。









再びリフトで駐車場へ戻り、観光バスは岩山を見上げる海岸沿いの道路を走って仏教聖地・華厳寺へ。
このツアー最後の観光地である。
山の中腹に広大な寺域を持つ華厳寺は、108個の蓮花の彫刻を踏んで歩く参道に、インド風の純白の山門など仏教オブジェの整備が進んでいる。さっきは山登りをしなかった台湾の教授も、ここでは縁の字の由来や仏教説話について、私や、一緒に歩く四川省の母娘など同行ツアー客に解説してくれた。

場所が場所だけに観光客目当ての観光寺かな、とも思ったが、本堂は禅宗らしい渋い落ち着きがあって、善男善女が熱心に線香を上げている。







太陽が西に傾き、観光バスは青島市内に向けて走り出す。
途中でお約束の買い物タイムがあり、漁港の海産物センターのような店に立ち寄った。
買う気はしないけど覗いてみると、魚の干物に、裂きイカに、貝、漁港の品物はなんだか日本と変わらない感じ。中国の内陸部からやってきた観光客たちは、海の特産品が珍しいのか、大きな袋に干物をいっぱい詰めてバスに戻ってきた。

開発区のホテルに到着、短い旅をともにした教授とお別れする。
ツアーに参加することで、一期一会の出会いを感じた1日だった。
夕食は昨日も行ったショッピングセンターのレストラン街。チェーン店の大娘水餃で、水餃子とビールの夕食をとる。旅談義で楽しかった昼食と比べると、1人の食事はわびしいけど、これも旅の醍醐味だ。

ショッピングセンターをぶらぶらして、帰りに書店に立ち寄った。
おや、平積みされている本は「在世界中心喚愛」これって、あの本じゃないの?
ちゃんと日本で大ベストセラー!と銘打ってある。私は映画もドラマも原作も見ていないけど、思わず中国語版を買ってしまった。


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泰山日出登山(2004年9月21日)


今日は青島を離れて、中国五岳の中でも筆頭格とされる世界遺産の名山・泰山へ行く。
古代から皇帝が自ら赴き、封禅の儀式を行ってきた道教聖地で、「泰山鳴動して鼠一匹」とか「泰斗」とか、数々の言葉にもなっている。頂上に上ると、黄河から昇る御来光が拝めるそうだ。



世界遺産でもある七千段の石段を、5時間かけて登るのも一興だけど、ここは海外旅行中、何事も安全第一である。私は麓の町・泰安からロープウェイで楽々登山して、頂上のホテルに泊まり、翌朝に日の出を見るというプランをたてた。

交通網の整備が目覚しく進む山東省、謝さんの情報では、2004年現在、青島と済南の間には高速鉄道の工事が行われており、路盤施工や線路の入れ替えのために、鉄道は徐行運転しているのだという。
完成すれば約5時間で列車が駆け抜けるらしいが、いまは早く移動しようと思ったら高速バスの方がいいのだろうか。

とにかく、登山があるので、早く出るに越したことはない。
私はホテルを朝4時半にチェックアウトして、タクシーでバスターミナルへ向かった。
早朝の青島市内は渋滞もなく、空気も澄んでくっきりクリアに見える。
ところが、あっという間に到着したバスターミナルの窓口では、無常にも「泰安?没有」との冷たい返事。
なんでも、青島から泰安へ向かうバスは本数が少なく、切符がすぐに売り切れるらしい。
当日券は無理なのか。

私はタクシー乗り場にとって返し、次は鉄道の駅に向かった。
メルヘンな青島駅の切符売り場は早朝でまだガラガラ。
「泰安」と告げると、切符とともに「広州行きがすぐ出るから、急いで、急いで!」という言葉が出てきた。
わっ、あと3分しかない!
私は荷物をつかみ改札めがけて階段を駆け上る。
改札には服務員が「広州!広州!」と叫んでいる。
私も必死で「広州!広州!」と叫びながら、列車に向かった。
よかった、間に合った。

青島駅始発の特快列車は、硬座もまだ比較的余裕がある。
私は泰安まで約8時間の列車の旅、だけど広東省広州まで、いったい何日かかるのだろう?
山東省の平原はどこまで走ってもトウモロコシ畑が続いていた。とはいえ、線路工事中なので、特快列車といえども亀のようにスピードがのろい。私は昨日スーパーで買ったパンを食べ、「世界の中心で愛を叫ぶ」を読んで時間をつぶす。ああ、暇だなあ。



昼1時過ぎ、ようやく泰安に到着、駅舎を出ると雲ひとつない青空の下に、どーんと岩山がそびえているのが見える。泰山だ。やっぱり山はいいなあ。
中国有数の観光地だけあって、旅行社を見つけると駅前の客引きもうるさい。
まずはタクシーの客引きを振り払い、駅の手荷物預かり所にスーツケースを預けて身軽になった。
さて、山に向かうか。
寄ってくる客引きたちをあしらいつつ、1台の車に決めた。
「どんな予定ですか」
あの、ロープウェイで山上まで行って泊まりたいんだけど。
「そりゃあ、お金がもったいない。山上のホテルは高いし、飯もまずい。山麓の渡暇村に泊まって、夜階段を登ってもご来光には間に合うよ。何も山上に泊まることはない」
そうなの?山麓はいくらぐらいで泊まれる?
「200元あれば十分だよ」

そうか、じゃあ予定を変えて深夜登山にしようか。
タクシーは泰安の町から泰山に向かい、街を見下ろす高台に止まった。
周辺には人民解放軍の休暇施設に隣接して登山者向けの山荘が固まっている。
タクシーと契約を結んでいるらしい山荘に入り、部屋を見せてもらった。シンプルな部屋には、ベッドとテレビ以外のものはなく、殺風景ではあるけど、それでもシャワーとトイレはついている。
これで200元ならいいか。
ついでにフロントで深夜発の泰山登山ツアーバスに申し込んだ。







まだ時間があるので、泰山登山の前に泰安市中心部にある道教聖廟・岱廟を見学することにした。
かつて、皇帝たちが泰山詣でをした時に、まず岱廟に入り、儀式を行ってから登山にとりかかったのだという。由緒正しい泰山の1合目である。
渡暇村から市内に向けて市バスがあるので、泰安駅を経て市内をぐるっと回ってみた。
緑豊かな街路樹に囲まれた泰安の街は、なんだかとてもすがすがしい。やはり中国四千年の気が流れているせいだろうか。

岱廟でバスを降りる。
堀と城壁に囲まれた岱廟は、道教寺院というよりそのまま宮殿といった方がよい。
かつての明清時代、皇帝が暮らす北京故宮以外に宮殿建築が許されたのは、山東の道教聖地・泰安岱廟、儒教聖地・曲阜の孔廟だけだったという。



重厚な城門をくぐって境内に入ると、さらにいくつも門が続き、道教で死後の世界を司る泰山神が祭られた宮殿に着く。現世を司る皇帝に対して、閻魔大王として死後の世界を司る泰山の神「泰山府君」は、遠く日本でも崇敬されていたという。
というとなんだかおどろおどろしいけれど、境内には気持ちのいい空気が流れ、漢代から3千年以上生きている桧などもあって、風水的に良い場所だろうと分かる。岱廟をぐるりと囲む城壁の上に出ると、泰山から一直線に伸びた線上に、宮殿建築が配置されているのである。
すごいなあ。





山東省は東北地方と並んで餃子の本場である。
泰安駅に近い水餃子専門店で水餃子とビールを頼んで夕食にした。
店を出ると通りの奥に大きく泰山がそびえ、岩が突き出た山頂が夕日をあびてオレンジ色に輝いている。明日もいい天気になりそうだ。
懐中電灯の他、登山中に食べるパンやソーセージ、水などを買い、市バスで山荘に戻る。

夜12時、荷物を準備して山荘をチェックアウトする。
山荘前の広場には数台のマイクロバスが止まり、登山ツアー客を待っていた。
これから泰山中腹の中天門まで行き、階段を登るのだ。
有名な七千段の階段は岱廟をすぎて泰安市内からの登山口から続いているから、中間点の中天門からだと全段制覇という訳にはいかない。ただし、一番の見所は中天門より上にあるわけだし、階段を体験してみる、という点ではいい選択だろう。



登山客で満員になったバスは、ヘアピンカーブの続く山道をぐいぐい登っていく。
やがて、空にまたたく星が目線と同じ位置に見えるようになり、闇夜の中でも高い場所へ来たことが分かる。眼下の平原一面に光をちりばめたような泰安市内の夜景が広がると、ようやく終点の中天門に到着した。

食堂やお土産屋が囲む中天門の駐車場には、夜なのにバスがいっぱい止まり、これから山頂をめざす大勢の人であふれていた。
気温は暑くもなく寒くもなく、体調はばっちり、さあ、歩き出そう。
石畳の道は広く、暗闇の森林地帯をゆるい階段で登ってゆく。なんだ、意外にラクチンだなあ。
ところどころに休憩所があって、食べ物や水、スイカなどを売っている。そういった休憩所を横目に見ながら、近くを流れているであろう谷川の水音を聞きつつ進んでいった。

ふと目の前が開けると、頭上はるかにぽつんと明かりが見える。
泰山山上の南天門だ。
うわあ、遠いなあ。まだまだ日の出に間に合うとは思いつつも、だんだんきつくなってくる石段を前に気が焦ってきた。石段は谷川から離れて、岩場に沿った急登りになってくる。階段に腰掛けてへばっている人もいる。
私も汗をかいて上着を脱ぎ、シャツも脱ぎ、Tシャツだけになった。それでも暑い。
休憩所でスイカを買ってビニール袋に入れてもらい、かじりながら登る。



まだ真っ暗で名所の看板が出ていてもなんのことやら分からない。
だけど、ようやく泰山登山のハイライト・昇仙坊に辿り着いた。ランニングハイになった体に、スピーカーからエンドレスで流されるキャッチーな道教のお経が流れ込んで、脳みそはどんどんトランス状態になってゆく。
最大傾斜度70度ともいわれる胸突き八丁の石段を、一歩一歩足をずり上げるようにして登り、ようやく南天門に到着した。振り返ると、谷間の向こうに泰安の夜景が広がっている。

満天の星空の下、南天門をくぐった泰山山上には、石畳の道が延びて、両側にホテルやレストランが軒を連ねる天街がある。まだ日の出に備えるは早く、山上に泊まっている人は眠りの中だろう。
南天門付近には夜をかけて登ってきた登山者たちが休憩しているけど、天街はまだ静まり返っている。

私はシャツを着直して、山頂に続く石畳の道を先に急いだ。
どうやら、ここまで来ると、私がトップになったようで、周囲には誰の姿もない。
わっ、あーびっくりした。
暗闇からぬっと現れた人影がある。
何だと思ったら、人民解放軍の緑の防寒コートを貸し出す人だった。
風が吹き抜ける稜線に出たので体も冷えて、ちょっと休むと歯がガチガチいうようになっていたところだ。デポジットに100元を預けてコートを借りた。

山頂部の東端、日観峰に3時に到着、御来光にはまだ2時間半もある。
私は24時間営業の刀削麺屋に入って麺を注文し、持ってきたパンやソーセージも齧りながら、暖を取った。
やがて、小さな刀削麺屋には次々に後続の登山者が詰め掛けて店内はいっぱいになってしまう。
私は部屋の隅に移動して壁にもたれ、少しでも体力と体温の温存を図った。











朝5時半、夜明け前の空気はぴーんと張り詰めている。
自然にぶるぶる震える体をなだめながら、日観峰の東端へ行く。
周囲はご来光を見ようと中国全土からやってきた登山者たちでいっぱいだ。日の出の瞬間が商売時であろう「太陽をバックにあなたの写真を撮りませんか」という記念写真カメラマンたちもセールスに余念がない。

やがて、青みがかった東の空が明るくなり、雲間にオレンジ色の光が広がってくる。
早く、早く、期待が高まる。
寒さと待ちきれなさにもじもじする頃、太陽はゆっくりと現れ、光を強くしながらぐんぐん昇って行った。
御来光を反射して、泰山の峰に集う登山者たちの顔もオレンジ色に染まってゆく。
おおーという歓声が響く。
黄河は見えなかったけど、感動的な日の出だった。







太陽を背に、泰山山頂部を行く。
泰山極頂は廟の中だけど、ここも人、人、人。
五岳独尊と彫られた石碑の前では記念写真を撮ろうと黒山の人だかりができている。
よくもまあ、山上にこれだけの人が集まったなあ、さすが中国。
そして、よくもまあ、山中の岩という岩にこれだけ文字を彫りこんだものだ。
中国は何か名所があれば、すかさず文字を彫り込まないと気が済まないのか。

人の寿命や死後を司る神・泰山府君の奥さんで、人の誕生を司る女神を祀る「碧霞元君祠」など、山上を埋め尽くすほど多い道教の寺院を訪ね、広い石畳を行く。
もうロープウェイは運転しているようだが、せっかくだから下りも中天門まで歩いてみよう。









南天門をくぐって石段を降りてゆく。
夜は暗くてよく分からなかったが、明るくなってみると急な階段だ。
ちょっと油断すると転落しそうなので、慎重に、慎重に歩を進めてゆく。
この石段を荷物を担いで登るボッカたちとすれ違う。大変な重労働だろうな。
昇仙坊へ来ると、ようやく危険な急坂もなくなり、南天門を振り返る余裕も出てくる。行きにはなかなか近づかずに焦った南天門であるが、下りにはあっという間に遠くなっていってしまう。
やがて、深い森に囲まれた中天門の駐車場に帰ってきた。









中天門から渡暇村へマイクロバスで戻り、市バスに乗り換えて泰安駅へ。
さすがに足がくたくたなので、ちょっと休憩したい。駅近くの商店街にある美容院に足裏マッサージの看板があったから、90分間じっくり揉んでもらった。
ああ、極楽。
マッサージ師の女の子は、泰安に住んでいながら、泰山に登ったことがないらしい。灯台下暗しというのか。

朝食兼昼食をケンタッキーでとったあと、泰安駅の手荷物預かり所からスーツケースを受け取り、バスで曲阜へ向かう。孔子の故郷・曲阜はバスで約1時間の近くにある。


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山東秋天(下)へ続く



   
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