日本有縁 2007年 本文へジャンプ

探親ビザ

私は5月の連休を利用して、吉林省延辺朝鮮族自治州にYANを訪ねてきた。
延辺を離れる際に、私とYANのこれからの付き合いについて話し合った。6月末に図們市の老家に滞在している彼女の妹が日本へ帰ってくる。そのときYANも一緒に来日して、私の家や暮らしを見たいと言った。
妹が青島の日系企業で現在の旦那さんと交際していたときも、やはり先に日本へ来て3ヶ月一緒に暮らし、結婚の決意をしたのだという。
うん、もし結婚するにしても、いきなり日本へ来るよりは、生活をよく知っていた方がいいだろう。

私は帰国後、すぐにYANの来日の準備を始めた。いまや上海など沿岸部に暮らす中国人富裕層は、日本の観光業界にとってお得意様になっているが、まだまだ一般の中国人が観光目的で日本へやってくるのは難しい。個人旅行が解禁されていないので、親戚や友人を訪問する「探親ビザ」を発行してもらわないといけないのだ。その「探親ビザ」も、身元保証人である日本人との関係など、審査はなかなか厳しいようだ。

インターネットで調べながら、招聘書や身元保証書、YANが来日するときの予定表などを書き、私の戸籍や在職証明書、所得課税証明書などと一緒に中国へ郵送した。招聘理由書には、私たちが知り合った経緯や、なぜ呼び寄せるのか、などを順を追って細かく説明しなければいけないので、個人的な事情を文字に起こして公文書に書くのは結構はずかしい。まあ、理由書を読んで審査する担当官と知り合いではないし、ここはのろけて書いたほうがいいだろう。長々と文章を連ねた。あとは、私たちが交際していることを証明する写真やメールのコピーも同封する。

EMSは4日ほどでYANのもとに届き、さっそく延吉の国際交流中心で申請をしてきたと言った。
以前、2005年に妹が日本で結婚式を挙げたときは、YANの家族も「探親ビザ」で来日したというが、当時はわざわざ遼寧省にある在瀋陽日本総領事館まで手続きに行ったらしい。現在では延辺自治州の居住者は、瀋陽まで行かなくても州都の延吉市で申請手続きができるようになり、かなり楽になったようだ。
ビザは特に問題もなく、2週間程度で発行された。これでYANは日本に来ることができる。

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YAN来日する

6月30日、いよいよYANが日本に到着する日だ。
今日は土曜日なので私は休み、朝、隣の市に住む彼女の妹の家を訪ねて、旦那さん、お父さん、お母さんたちと一緒に富山空港へ向かった。お父さんからすれば、久しぶりに孫と対面できるから嬉しいだろう。
ところが、到着ゲートが開いて、大連からの乗客がどんどん出てくるのに、彼女たちの姿が見えない。中国人研修生らしい団体が、大きな荷物を抱えて出てきては、会社のバスに乗せられて去っていく。
おかしいなあ、どうしたんだろう。
「なかなか出てこないですね、何かあったのかなあ」
だんだん心配になって妹の旦那さんと話していると、最後の最後になってようやく彼女たちが現れた。YANは妹の赤ちゃんを抱いている。
よかった。出てこないので心配したよ。
「税関で、荷物の中身を調べられていたんですよ」
2人は行商するのか、というくらいの大きな荷物をカートに積んでいた。いったい何を持ってきたの?
「お土産に木耳を持ってきました。これ全部そうなの」
乾燥した木耳の他に、高麗人参や漢方薬らしい生薬がどっさり入っている。どうやら中国のお父さんが、私や妹の家の親戚にも配るために、と準備して持たせたようだけど、税関の職員にしてみれば、何か怪しい漢方薬を持ち込んで商売でも始めるつもりかと思ったのかなあ。

2台の車で空港を出発、まずはみんなで昼食をとることにした。
富山と言えば回転寿司が有名だ。せっかく日本へ来たのだから、名物を味わってもらおう。
「いいですね。私の妹も、日本へ帰ったら寿司を食べたいって言ってたんですよ」
どれを食べたい? 
「よく分からないから、お任せします・・・」
遠慮してなかなか皿に手を伸ばさないので聞いてみれば、YANは中国人らしく生魚が苦手だという。
そんな、最初に言ってくれればいいのに。「寿司が食べたい」って言ってたんじゃないの?
「妹は寿司が大好きだから、食べさせてあげたいと思って・・・」
うーん、妹思いの姉なのか、謙虚だなあ。
天ぷらとか、エビフライとか、海鮮汁とか、生ものではないメニューを選んでYANにとってあげる。
「謝謝、やさしいですね」 
味はどう? 
「エビフライはすごく美味しい。海鮮汁は・・・酸ですね」
え、酸? YANが日本に来たばかりのときは、味噌汁が酸っぱく感じられたようだ。
この日はとりあえず、YANは妹の嫁ぎ先に泊まることになって、私は家に帰った。

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ハローギフハローワールド2007

翌日、7月1日に岐阜市で国際交流団体フェスティバルハローギフ・ハローワールド2007が開催された。
私も日中協会の会員なので、ブースの出展を手伝うことになっている。ちょうどいい機会なので、朝、妹の家に滞在しているYANを迎えに行き、その足で岐阜市に向かった。

フェスティバルの会場は、JR岐阜駅に隣接するアクティブGという生涯学習センター。JR岐阜駅の南口には名古屋入国管理局の岐阜出張所があるので、私たちが結婚してからは在留資格の更新や再入国許可の取得でおなじみの場所になった。
さて、日中協会では、名前の漢字を中国語読みして名刺を作るアトラクションを出している。パウチの機械を持ち込んで、なかなか見栄えのするカードができあがるので人気がある。
みんなにYANを紹介した。
「おはようございます。前に話をした、私の彼女を連れてきました・・・」
「ニイハオ、歓迎、歓迎」
日本へ来て、はじめて私の友人と会うので、ちょっと緊張気味のYANだけど、日中協会だけあって中国語を話す人も多い。思いがけず、中国語で歓迎されたので嬉しかったようだ。

岐阜日中協会で
岐阜日中協会で
岐阜城で

「日本でこんなに中国語を話す人たちがいるなんて意外でした」
日本には中国人を快く思わない人が多いのも確かだ。中国では、いかに反日デモ等が起ころうと(中国では政治的に微妙なニュースは流れないので当然だが)一般の人は割りに冷静で、「日本人なの?ふ〜ん」という感じだが、日本ではセンセーショナルな報道の仕方とか、中国人がらみの犯罪の多さもあって、なるべく接触を避けたいという人もいるだろう。
来日前には、YANもそこを心配して「日本人は中国人に対して冷たいって聞いたけど、どうしよう」などと言っていたが、実際に多くの日本人に会ってみれば、そんなこともなく、安心したようだ。

日中協会のメンバーで駅構内のレストランに行き、食事をとったあとは岐阜市観光に連れて行った。
岐阜公園からロープウェイで金華山へ上る。頂上にそびる岐阜城天守閣からは、岐阜市内や長良川が一望のもとに望める。ここは戦国時代、織田信長が「天下布武」を唱え、日本統一の足がかりにした場所だ。
その際、信長は、井ノ口という地名を中国の故事にあやかって岐阜と改名した。まず、岐山は陝西省にある都市で、古代、周公旦が儒教では歴史上理想的な時代とされている周王朝建国のために軍を起こした場所、つまり天下統一の始まりを意味する。曲阜は山東省にあって、儒教の創始者・孔子が生まれた場所、つまり学問を意味している。織田信長は中国の歴史にあやかって、岐阜から軍事力で天下を統一し、平和な時代になれば学問の中心として繁栄させようと考えていたのだ。
「すごく歴史に詳しいですね」 
YANは中国史には興味ないの?三国志とかは?
「あれは昔の小説ですよ。好んで読むのはお爺さんです」
えー、日本では若者にも人気があるけどなあ。

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日本海へドライブ

来日後すぐは私の家と妹の家を行ったりきたりしていたYANだけど、一週間たって、私の家に暮らすことになった。ちょうど土曜日なので、YANを迎えに行きがてら、ドライブに行くことにした。
「YAN、日本に来たらどこを見たい?」
以前、MSNで会話をしていたとき、YANは「海へ行きたい」と言っていた。そういえば、地図上では延辺は日本海のすぐ近くに位置しているものの、北朝鮮とロシアに阻まれて海に行くことはできない。何年か前、YANが友人たちと大連へ旅行したときに、海浜公園でちゃぷちゃぷと水遊びしたことが唯一の経験だという。
日本は周囲を海に囲まれた島国なので、海を見ることが楽しみだったらしい。
まあ、私のところにも海はないけれど、3時間も足を伸ばせば、きれいな日本海が見せられるかな。

日本海
ペンギンの散歩
能登島水族館

富山まで出て、北陸自動車道で金沢へ。ここから海沿いに走ると、千里浜ドライブウェイがある。
台風の直後でまだ波は高いけれど、ときおり青空ものぞいていい感じだ。千里浜の砂浜は硬く締まっているので、車で自由に波打ち際を走ることができる。好きな場所で車を止めて、海辺で遊んだ。
ところで、何を書いているの? 
「今日の記念。YAN到此一遊」
YANココ二到リテ一遊ス、か。
YANは私が買ってあげたばかりの携帯電話で写真をパシャパシャ撮っている。
「海の写真を延辺の家族に見せたいなあ」

千里浜ドライブウェイから能登半島を横断して、湾に浮かぶ能登島の水族館へ。
イルカのショーやかわいいペンギンの散歩などのアトラクションを見た。帰り道、なぜか通行車両が少ないなあ、と思っていたら、この日、新潟県で地震があって北陸自動車道も一部通行止めになっていたのだった。私たちは車の中にいたからか全然知らなかった。

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温泉でのびる

私は山登りが好きなので、YANをどこかに案内したい。だけど、いきなり本格的な登山も厳しいから、シャトルバスで標高2700mまで上がれる乗鞍岳に連れて行った。
ところが、天気予報に反して山上は一面のガスの中。もちろん、今が盛りの高山植物のお花畑は見事だったし、YANは夏でも残る雪渓に驚いていたけれど、「寒い、寒い」と連発して早々に引き上げてきた。

まあ、天気が悪くて楽しめなかったのは仕方がない。次の機会は白川郷ドライブにした。
「うわー、きれいー」 
御母衣ダム湖に沿ってうねうね走る国道から見える景色に歓声を上げる。まだまだ、これからきれいな場所が出て来るんだよ。
世界遺産の白川郷に到着、まずは城山展望台から荻町合掌集落を見下ろした。そのあと、合掌造り民家園の駐車場に車を置いて、荻町の集落を散歩する。ここは台湾の観光客に特に人気があるところで、小旗を持ったガイドさんの後ろをぞろぞろと歩く団体ツアーは、だいたい中華系の観光客だ。吊橋の上には中国語が飛び交い、どこに来たのか分からなくなるほど。
モデル張りのポーズを決めてパシャパシャ写真を取りまくるのも、かつてはカメラ好きな日本人観光客だったろうが、今では写真大好き中華系観光客の特徴だろう。

乗鞍岳で
白川郷
秘湯・大白川温泉

駐車場のすぐ近くにありながら、日本人の個人旅行者が意外に少ない合掌造り民家園へ。
ここは、富山県境の山奥にあった加須良合掌集落が、過疎のために集団離村したあと集落ごと移転してできた野外博物館で、住んでいる人はいないけど丁寧に保存されている。ただ、白川郷は、今でも普通の村人が生活している世界遺産なので、観光客にとっては興味が薄れるのかもしれない。その一方、荻町合掌集落が余りにも観光地化しすぎてしまったため、道行く旅行者が無遠慮にプライバシーをのぞいたり、勝手に家の敷地に侵入して写真を撮ったり、住民からすれば困った面もあることだろう。そこは博物館であれば、気兼ねなく家に上がって見学することができるのだから、もっと民家園にお客さんが来てもいいはずだけど・・・
民家園観光の主役はやっぱり中華系団体ツアーだった。

合掌集落を離れて、10qほど白山の山懐に分け入った場所に、秘湯大白川温泉がある。
そこに至る道のりは狭く険しく、はるか下を流れる川まですっぱり切れ落ちた崖道をうねうね走るため、YANはきゃあきゃあ言って怖がっている。大丈夫だって、安全運転しているから。
やがて、大白川ダム湖畔にある一軒宿の大白川温泉に到着した。登山者用の山小屋である温泉ロッジで入浴料を払って、湖を見下ろす露天風呂へ行く。このお風呂はちょっと熱めだけど、岩に腰掛けながら雄大な眺めが楽しめるのだ。
YANはもう上がったかな?時間を見計らって露天風呂を出ると、彼女はまだ来ていない。
温泉ロッジでずっと待つけれど、なかなか出てこなかった。いくら日本で温泉好きになっても、熱い露天風呂にそんなに長く浸かれるものではないだろう。さすがに心配になって、女湯の近くまで行き声をかけた。
すると、ふらふらになってYANが出てきた。大丈夫か?
「なんで早く声をかけてくれなかったんですか?ずっと浸かっていたんですよ」
えー、がまんしながら、ずっとお風呂に入っていたの?それは悪かった。ごめんね。
顔を真っ赤にしてのぼせてしまったYANをロッジで休憩させたあと、車の冷房をガンガンにしながら帰った。YANはすっかりのびてしまい、うーん、といいながら寝ている。悪いことしたなあ。

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YANの誕生日

YANの滞在も1ヶ月が過ぎ、簡単な日本語なら分かるようになってきた。
うちの冷蔵庫にはカレンダーの裏面が張ってあり、平日、私が仕事に行っている間は、家族と筆談で単語を教えてもらっている。大きな白紙も、たちまちマジックで書いた漢字で埋められていくから、熱心に会話していることが分かった。最初は9割がた私が話す中国語で意思を疎通していたけど、最近では日本語でも通じるようになってきた。

お盆には浴衣を着て地域の盆踊りに参加したり、スポーツ大会を見に来たり、近所の奥さんたちが集まったところで、中国料理を教えたり、短期滞在ながら地域にもなじんできた。特に、私の母親が毎週出かけている太極拳教室に一緒についていくと、YANは中国語の先生として尊敬されるらしい。年齢の近い若い人もいるので楽しいようだった。

そんな頃、国際支援のNPO団体が、中国から嫁いできた奥さんたちの交流会を開いた。
YANの妹から連絡をもらったので、私もYANを連れて行った。普段はなかなか母国語で愚痴をこぼす機会もない中国人妻たちのストレス発散のため、という趣旨はよく分かるけど、結婚の意志を決めていないときに他人の愚痴や不満を聞かされてどうなのかなあ・・・ちょっと考えたけど、日本で結婚して暮らすつもりであれば、現実は現実として聞いておいた方がいいかもしれない。
「男子禁制」ということで会場をあとにしたが、終わってからYANに尋ねれば、結婚生活は人それぞれ違うから、「旦那が理解してくれない」とか、「嫁姑問題」とか、特に何とも思わなかったと言う。
「青木さんは中国語ができるからよかった。優しいしね」

ところで、この日はYANの誕生日だ。ビザを取るときなどにYANに確認していたけれど、いつだったか何気なく誕生日の話題になったところで意外なことを言い出した。
「私の誕生日は実はこの日じゃないよ」
なに?パスポートや身分証の誕生日は本当じゃないの? 
「ううん、本当だけど、本当じゃないの」
どういうこと?よく聞いてみると、この誕生日というのは、実は旧暦(農暦)の日付なので、西暦なら1ヶ月前後の遅れになるのだという。じゃあ、本当は9月生まれってこと?
「私の生まれた年なら9月○日です」
うーん、誕生日を祝うのならいつになるのだろう。西暦8月○日か、その年の旧暦の同じ日か、それとも生まれ年の旧暦8月○日に当たる西暦9月○日なのか・・・
「普通は旧暦で祝いますね」 
西暦カレンダーで見ると、誕生日が毎年違う日ってこと?複雑だなあ。
「そうですか?習慣ですよ」

旧暦の話を聞くうちに頭がこんがらかってきたので、パスポートと同じ8月○日をYANの誕生日にすることに決めた。本当は9月○日が誕生日で、旧暦に従うならば毎年の8月○日は異なるのだけど、ややこしいから仕方ない。それにしても、中国の役所では1ヶ月も前に生まれた子どもの出生届けをようやく受理したの?
日本では考えられないなあ。
「私のYANという名前も、本当は字が違うんですよ」
どういうこと?
「お父さんが戸籍を届け出たときに、漢字を間違えたんです」
どうやら、お父さんが決めていた字を間違えたのか、それとも役所が間違えたのかは知らないが、家族の中では「YANは本当はこっちの名前だった」と聞かされて育ったらしい。なんていいかげんな。

ちなみに、旧暦で年を数えるので、YANは日本のお年寄りとはよく話が合う。大の月と小の月が繰り返されて、結果、何年かに一度は13月があるという旧暦によれば、赤ちゃんは生まれた瞬間に一歳になる。
そして、伝統的には誕生日はあまり重要視されず、年明け(旧正月=春節)をもって年齢がひとつ上がるから、旧暦の大晦日に生まれた子どもは、次の日にはもう二歳になるのだ。おそるべし旧暦である。

まあ、とにかく、8月○日をYANの誕生日にしたので、この日にプロポーズしようとを決めた。
YANを中国人妻たちの交流会に送っていったあと、ショッピングセンターでネックレスを買い、花束とバースディケーキを予約して交流会が終わるのを待った。
「遅くなったね、ごめんね」
YANが出てきた。妹と分かれたあと、YANを連れてショッピングセンターに引き返す。
「ん?今日は買い物はしないよ」
まあまあ、いいから、ついておいで・・・花屋で花束を受け取って、YANに渡す。
誕生日おめでとう!
それから、ケーキ店で大きめのホールケーキを受け取って車に戻った。
「こっちもあるよ、箱をあけてごらん」
中国では誕生日ケーキをもらったことがなかった、と言って喜んでいるYANに小さな箱を差し出した。
「わあ、ネックレス。ありがとう」 
うん、我想一輩子和ni在一起。YAN、我們結婚巴。

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結婚の準備をする

YANの誕生日のプロポーズは成功した。
家族に報告したあと、YANの短期滞在が終わる9月半ばまでに国際結婚に必要な書類を揃え、彼女の帰国時に、さっそく中国での婚姻登記まで行うことにした。結婚に向かってぐんぐん進み始めた感じだ。

まず、私の「婚姻用件具備証明書」を準備する。これが最初にして一番面倒な手続きだ。
独身証明書ともいわれる同証明書は、市役所の戸籍窓口でも発行してもらえるのだが、市役所発行のものは中国の婚姻登記時に受理されないのだという。中国側の役所では、日本にどんな市があるのか、公印が本物か判断できないからだ。そこで、法務局が発行する「婚姻用件具備証明書」をもらう必要があるのだ。
市役所で戸籍謄本を出してもらい、法務局へ出向く。約半日程度で、証明書自体は無料で発行された。
ここからは、この証明書が本物であるという認証をもらっていく作業が始まる。
日本国外務省による「この法務局印は本物である」という認証をもらうために、外務省の大阪出張所へ返信用封筒を同封して郵送する。しばらく待って返送されてきたら、在名古屋中国総領事館に出向いて「法務局印は本物であると認証した日本国外務省印は本物である」という認証をもらわなくてはいけない。
まるで落語の世界だ。

名古屋城
イタリア村
イタリア村

有休を1日もらってYANと名古屋の中国総領事館へ行った。
ここはつい最近オープンしたばかり。2005年にYANの妹が結婚したときは、旦那さんはわざわざ東京の中国大使館まで足を運んだという。認証のスピード発給のために特別料金を払っても、東京だと泊りがけで出かけることになるが、名古屋なら早朝に出れば車で2時間の距離だ。ラッキーだった。
車を名鉄犬山駅に置いて、電車と地下鉄を乗り継いで総領事館へ。名古屋でも閑静なお屋敷が並ぶ高級住宅街の一角に新しいビルがあったけど、地下鉄の出口から盾を持った警察官が配置され、パトカーも待機していてものものしい雰囲気だ。右翼の街宣活動とかに備えているのだろうか。ここに用事がある人たちなのか、中国人グループがたむろする総領事館の門前にも公安警察がおり、身分証明書を見せて中に通してもらった。

外のものものしい警戒態勢と打って変わって、総領事館のロビーは純白で明るい。インターネットの情報では「大使館の中は中国の役所そのもの」とも聞くけれど、ここは清潔で静かで、中国の印象とは少し違った。私たちは一番乗りで行ったので、それほど待たずに窓口に呼ばれた。
我想要認証・・・
「あ、日本語でいいですよ」 
よく見ると窓口の職員は日本人スタッフだった。

認証してもらう書類を提出して、YANを名古屋観光に案内した。
日本らしい観光地でもある名古屋城を見て、当時は偽装工事が発覚していなかった名港イタリア村で昼食をとり、海上バスで名古屋港の対岸に浮かぶワイルドフラワーガーデンに行った。
数日後、半日の有休をもらって再び在名古屋中国総領事館へ一番乗りして、認証の揃った「婚姻用件具備証明書」を受け取った。これで中国での結婚登記ができるぞ。
こうして、9月15日、私とYANは再び吉林省延辺自治州へ飛び立った。

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