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州都・延吉市
勝利路歩行街
漢字とハングルが併記される
韓国料理店も多い

中国吉林省の東南部、北朝鮮とロシア沿海州に接しているのが延辺朝鮮族自治州。
総人口約220万人のうち、漢族が6割、朝鮮族が4割を占めている。
中国東北の最高峰、霊峰・長白山を擁し、全体的に山がちの地形のため、大陸性気候と相まって冬の寒さは厳しい。厳冬期には最低気温−30℃にもなり、中朝国境の豆満江も凍りつく。

自治州の州都は延吉市は人口約45万人。そのうち朝鮮族は6割を占めている。
中国ではそんなに大きな都市ではないものの、韓国資本が流れ込んでいるため、市中心部には高層ビルやホテル、デパートが多く、勝利路歩行街を韓国直輸入のファッションで歩く垢抜けた人も多い。
高層ビル群が並ぶ布爾哈通河沿いには、夜にはライトアップされる遊園地もあり、ネオンが川面に反映して多くの人を集める。また、動物園のある人民公園では、朝鮮族の民族衣装・チマチョゴリの人を見かける。
東北の辺境都市ながら予想以上に賑わっている。

延吉市内のあらゆる公共施設や商店、看板には、漢字と併用してハングル文字が使われており、中国の他の都市には見られない独特の雰囲気がある。焼肉や冷麺、狗肉料理など韓国料理店が多く、味付けは日本人によく合う。こうした料理や生活文化にも、中国と朝鮮の混ざり合った様子が見られる。
物価は中国の田舎としては高い。韓国資本が流入して価格を押し上げているのと、韓国へ出稼ぎに行く人が増え、そうして稼いだ外貨を投資するブームが起きたためだという。また、韓国への出国ブームによって、朝鮮族の人口比率が下り、漢族が増えているようだ。

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人民公園 と 金達莱広場
市中心の人民公園
チマチョゴリの人も見かける
市郊外の金達莱広場

人民公園は、布爾哈通河に流れ込む煙集河の西岸にある公園。
商業の中心地である人民路や勝利路に近く、市民の憩いの場になっている。
記念写真の店が多く出ており、チマチョゴリを着て写真を撮ってもらうこともできる。園内には東北虎のいる動物園や植物園、遊園地があり、リフトで上がれる高台からは延吉市街が一望できる。

金達莱広場は市街から延吉空港に向かう途中にある新しい広場。
周辺にはヨーロッパ宮殿風の政府庁舎や国際交流中心のビルが並んでいる。金達莱とはツツジ科の一種、アザレアのことで、延辺自治区に自生して春には紫色の花を咲かせることから、自治州の花になっている。

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北朝鮮国境の町・図們市
図們火車站
街中の移動は輪タクで
北朝鮮との国境門

図們市は延吉から約40km、高速道路で約40分の場所にある。人口は朝鮮族が6割、漢族が4割。
豆満江(図們江)をはさんだ対岸は北朝鮮の南陽。図們口岸と呼ばれる国境が唯一の観光地。市内は小さいので徒歩でも回れるが、たくさん走っている輪タクを利用すればどこでも行ける。
図們火車站の近くには朝鮮人参や鹿の角などの漢方薬のほか、木耳などの特産品を扱う商店が集まっている。市中心には歩行街があって、韓国料理店が多い。また、「延辺串一条街」という延辺名物の羊の串焼き店が集中する観光街もある。


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図們口岸
展望台にもなる国境門
橋の途中に国境がある
豆満江と北朝鮮
双眼鏡で覗くと金正日が
北朝鮮の町・南陽
お土産店が並ぶ観光地

豆満江をはさんで北朝鮮の南陽と向き合う場所で、意外にものどかな公園になっている。
赤い国境関門は屋上に上がれるほか、大橋の途中に引かれた国境線まで行くことができる。(20元)
公園には北朝鮮グッズやロシア、韓国民芸品を扱うお土産店が並び、すっかり観光地化されている。レンタルした双眼鏡を覗くと対岸の南陽に並ぶうらさびれた街並みや、金正日の肖像画を望むことができる。

もともと中国人観光客が北朝鮮の貧しさを眺めて優越感に浸る場所のようだが、北朝鮮も事情は知っているようで、南陽に建つ人気のないビル群は「うちだってビルぐらい建てられる」という宣伝用に作った張りぼてのようなものだという。銃を担いだ警備兵のほか、魚釣りをしたり、ぶらぶら歩く人の姿も見られるが、すべて私服の警備員だという。

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延辺自治州の風景
広大な農村地帯
中国東北らしい風景
列車がやってきました

延辺の国境問題(間島領有権問題)

もともと、伝統的な中華世界とは延辺からはるか離れた万里長城の内側を指し、その外側は遊牧民族が暮らす野蛮な土地とされていた。しかし、17世紀、ヌルハチが満州族を統一して清朝を建て、その子ホンタイジが山海関を破って中国内地へ攻め込むと、あっという間に漢族の明朝を滅ぼしてしまう。
こうして長城の内外がひとつになったものの、中国では幾多の征服王朝が中華文明に感化され、漢族に飲み込まれた歴史を持つ。そこで清朝は、支配者の満州族が圧倒的多数の漢族に埋没しないよう、故地である東北への漢族移住を禁止し、中でも民族聖地・長白山周辺には一般人の立ち入りを許さなかった。
こうして人口希薄になってしまった東北に、19世紀にロシア、20世紀には日本が進出してくる。1860年にはアヘン戦争、アロー戦争のどさくさにまぎれてロシアに広大な外満州(沿海州:ウラジオストックとはロシア語で「東方を征服せよ」という意味)を奪われ、中国は日本海への出口を失った。同年、清朝政府がようやく東北移住と開拓の奨励に踏み切ると、なだれを打って漢族が流れ込んで東北の最大民族となった。

さて、禁地だった長白山周辺の延辺地方(韓国では間島地方)には、李朝朝鮮や清朝の圧制を逃れて住み着く人がおり、いつの間にか朝鮮族と漢族が混住する地域になっていた。両国は「トゥーメン江を国境にする」と決めたが、ここで問題が発生する。長白山には「豆満江(図們江)」と「土門江」という2つの川があって、どちらも「トゥーメン江」だったからだ。(トゥーメンとは満州語で「源流」の意味)
結局、韓国併合を狙っていた日本が、清朝に取り入って中国に有利な「豆満江」を国境にすると同意した。
こうして中国領になった延辺には、日本の植民地支配に抵抗する朝鮮人が逃げ込んだり、さらに日本によって朝鮮人開拓団が大勢送り込まれたため、やがて朝鮮族が多数派を占めるようになった。
しかし、豆満江を国境と決めたのは日本と中国であって、当事者の韓国ではない。当然、韓国は納得していない。これが間島領有権問題だ。


北朝鮮は中国の意に逆らえないので国境問題はないけれど、もし韓国によって朝鮮半島が統一された日には、朝鮮族の多いこの辺りはちょっと複雑になってくる。中韓両国が日本との間に抱える竹島や尖閣諸島といった無人島の争いと違って、200万人もの人が暮らす土地、しかも韓国人にとっても民族発祥の聖地である長白山(韓国では白頭山)を擁する地方だからである。
中国政府は先手を打って「東北工程」なる歴史研究プロジェクトを発足させている。そもそも中国東北部で興亡を繰り返した高句麗や渤海といった民族的に朝鮮系統の国々も全て中国の地方政権であり、韓国だって中国の一部なんだぞ、と言っているわけだ。対する韓国には間島返還要求の動きもあると聞く。
北朝鮮情勢も含めて、目が離せない地域なのだ。


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