中国旅行記 走進江西(上)(2003.江西省) 本文へジャンプ


狗鍋、熊鍋


前回の旅行記「愛我南昌」で2週間の滞在と大学での日語講師!を体験し、私にとってすっかり馴染みになった南昌市。とりたてて個性が強い訳ではない、ありふれた地方都市だけど、そこは勝手知ったる街並みがあり、たくさんの友人が暮らす特別な場所だ。

私が第二の故郷と公言するようになった南昌市へ、半年ぶりに出かけることができた。
今までの旅行が見知らぬ土地を訪ね、初めての人と出会う旅だったならば、今回は中国へ知己を訪ねる「里帰り」のような旅である。初体験のワクワク感もいいけれど、半年のブランクを越えて友人と再会する時の、甘酸っぱいような懐かしさも何とも言えない。

これが疎遠になって久しい友人だと、わざわざ会いたいとは思わなくなる。やはり、半年か1年までが最も気になる時間なのかもしれない。
私がまたもや南昌行きを選んだ訳はそこにあった。なんとなく人恋しかったのかなあ。

年末年始の南昌滞在を終えて日本へ帰ってきてから、私と南昌の弟弟、妹妹たちとの間で「互相学習」のための文通が続いていた。
もちろん、私が中国語で書いて、相手は日本語で書く。まだ日本語学習を始めたばかりで、ほとんど会話ができなかった彼ら、彼女たちも、辞書を引きながら綴った文章をほぼ意味の通じる、なかなかの名文に仕上げていた。ところどころ不自然な部分もあるがそれはお互い様だろう。
何より一生懸命に便箋に向かう様子が文面から伝わってきて、うーん、可愛いなあという思いにさせる。
「老師に折紙を教えてもらいました」と言って同封してきた紙鶴も、すごくかわいいなあ。

そんなある日、我的中国妹妹、小糖果こと李さんから「朱小紅老師が研修のために日本の大学へ行きました」という情報をもらった。
朱老師は、私が江西財経大学でたいへんお世話になった日本語教師だ。前回、私は思いがけず「財大へ日語教師として赴任しませんか?」とのオファーを受けて、高価な景徳鎮の壺まで頂いた。
日語教師の道はともかく、ろくにお礼もできなかったので、老師が日本に滞在しているならぜひお会いしたい。

さっそく江西財経大学へ問い合わせのFAXを送った。手紙も送ったが、しばらく待っても返事は来ない。
いつまで老師が日本にいるかも分からず、私は少し焦りを感じていた。
2003年前半の中国を震撼させたSARS禍が、まだ北京、広東限定の現象と見られていた5月上旬、江西省外事僑務弁公室訪日団が恒例の岐阜県訪問にやってきた。毎回、毎回、たいへんお世話になっている王雨森団長以下、顧健紅さん、塗さんなど、みんな顔なじみの方ばかり。
私は南昌でのお礼を述べ、朱老師の消息を訪ねた。顧さんは朱老師と仲がいいのだ。

「えー、朱老師は日本にはいませんよ。彼女は財大日語学科の新設に先立って、大連外国語大学で研修を受けています。大連外大は中国最大の日本語教育機関ですからね」
うーむ、道理で財大から回答がない訳だ。小糖果は日本語教員研修=日本へ行った、と勘違いしてたのか。
「それより青木さん、次はいつ南昌に来ますか?」
じゃあ、秋の連休にまた中国へ行こう。

今回、航空券と上海−南昌の列車を手配したのは近畿日本ツーリスト。岐阜日中協会の会員なので、中国旅行を頼むには便利である。
日中協会の定例会で、同社の名坂さんと王さんを招いて「中国のSARS情勢について」勉強会を開いた。日本の新聞などではセンセーショナルにSARS騒動を煽っているが、北京はともかく中国南方は比較的落ち着いており、政府や民間の対策もとられているとのこと。私は、9月にもなれば収まるだろうと確信していた。

さっそく江西省外事弁公室にも連絡する。今回は夏雲さんが大学へ連絡をつけてくれるという。
王雨森さんには「9月中旬には景徳鎮で開窯千年記念の旅遊イベントがあります。外国からもたくさんのお客を招きますが、青木さんも来てみませんか」と誘っていただいた。
私の旅行日程は11日間。大学で2日ほど学生に会うとして、あとは景徳鎮と中国一美しい農村ウーユアンを回る予定が組めそうである。
宿泊は、また南昌服部時装有限公司の総経理にお願いの電話をかけた。総経理の福田さんは交代で日本に帰国しており、今は吉田さんと内山さんの2人が南昌にいるという。前回に続いて居候させてもらえることになった。

そして、出発の日が近づいた。
普段、あまりに私が「中国には狗鍋があってさあ・・・」などと語るものだから、同情?した職場の人たちが壮行会をひらいてくれた。場所はわりと新しい居酒屋。皆まだ行ったことがなかったので、ごく自然に決まったのだった。予算は1人3千円のおまかせ料理。
はじめての店、平日ながら満席に近い人気ぶりに期待が高まる中、出てきたのは珍味「あじめどじょう」「鰍の唐揚げ」と大きな天然鮎の塩焼き。おお、これで3千円いっちゃうんじゃないの?マスターに聞けば、近所の人たちが持ってきてくれるので、市場を通さず安く手に入るという。
さらに富山湾直送の刺身山盛りがどーん。うーん、居酒屋ではもったいないなあ、などと話していると、メインが現れた。

鍋を持ってきたアルバイトの女の子は、こともなげに「はい、熊鍋でーす」えっ?熊鍋?
再びマスターに尋ねると、「うん、たまたま熊肉が手に入ったからねー」うーむ、山の中に住みながら初めて熊肉を食してしまった。
臭み消しの野菜を入れて味噌仕立てになった鍋、肉は黒くてごわごわしている。思ったより脂身がないのは夏の熊だからか?みんな一口食べただけで箸をおいてしまったが、もともと悪食で何でもOKの私はがんばって食べた。
その結果は、夜、風呂に入ると全身から脂汗が滲み出てくる。うわー、何だか気持ち悪い。翌朝は心なしか獣臭い気がするし・・・
うーむ、やっぱり野生動物はあなどれない。
それにしても、家畜として食用犬を食べる中国と、野生の熊を食べちゃう日本、一体どちらがワイルドなんだろう。って家の近所だけなのか?


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走向共和(2003年9月13日 土)


私の家から名古屋空港までは遠い。車で直行しても2時間はかかるのがネックだった。
ところが、最近、濃飛バスの高山発名古屋空港行特急バスなるものができた。片道4500円もするので、空港近くの駐車場に1日1000円で車を預けるのと大して変わらないのが痛いが、朝7時前には国際線ターミナルに到着するという。
これなら9時の飛行機に余裕で間に合う。完全予約制なのでさっそくバス会社に電話を入れた。

指定されたバス停で、早朝4時に国道をやってくる空港バスを待つ。
意外にもたくさんの客が乗っているが、時間が時間なので、すっかり熟睡しているようだ。私も寝ようと思ったけれど、旅立つ前の興奮で眠気がないまま夜が明けてしまった。コンビニで買ったパンとお茶で朝食を済ませる頃、バスは渋滞のない土曜日の早朝を走り抜けて、名古屋空港へ到着。
まだ6時半、薄暗い国際線ターミナルは人気もなく静まり返っている。早く着きすぎたかな。

することがないので、7時の始業を待って早々とチェックインを済ませ、海外旅行保険に加入する。あと、売店で何かお土産になるものを探そう。
文庫本がいいかな、と考えて中国で「非常村上」なる流行語ができるほど人気があるらしい村上春樹の小説を数冊買った。そしてお茶のペットボトルを2本。中国へわざわざお茶を持っていくこともないけど、向こうの緑茶ボトルは「微糖」がほとんどなのだ。これは後味が引きすぎてちょっといただけない。やっぱりお茶はすっきり味でないと。

 そして9時。東方航空298便はスムーズに名古屋空港を飛び立った。
中国では分割民営化された航空会社の再編が進んでいるようで、この便はもと西北航空が東方航空に吸収合併されたものだ。西安を拠点とする西北航空は、上海では空港の片隅に追いやられていた感があったが、今では便利な位置に移動していることだろう。
乗客は少なくて、見たところ7割くらいか。まだSARS問題が尾を引きずっているのだろうか?

機内映画のモニターも、音楽イヤホンもない無愛想な飛行機だったが、上海までは2時間なのでしかたない。
飛び立ってしばらく、まだ四国か九州の陸地が見えているうちに飲み物が配られ、機内食が出され、下げられてしばらくするともう眼下に長江の濁った水面が見えてくる。私にとっては半年ぶりの上海・浦東空港だ。

 前回と同じく外に降ろされ、バスでターミナルビルへ移動する。
エスカレーターを上がるとすぐ入国審査場。威圧的で暗かった虹橋空港に比べ、なんて明るいんだろう。日本より相当開放的な雰囲気だ。
おっとその前にSARS対策の健康チェックがあった。機内で記入した「健康申請カード」を出して遠くから体温をピッと計られる。入国審査も短期入国ビザがなくなり、入国カードと航空券、パスポートを出すだけで、すんなりOK。
審査場からすぐ下の荷物受け取りもあまり待たずに快適な中国入りを果たすことができた。

さて、入国したらまず浦東発展銀行で5万円分を両替しよう。
100元札が入った封筒は体に密着させた貴重品入れへ。300元はデイパックに入れた財布へ。残りの零銭をポケットへ無造作に突っ込んだ。
次は電話をかけなくては。電話機脇にある案内カウンターに売ってあると教えられた。そのカウンターには50元のICカードしかない。高いなあ。
「どこで使用するの?」と聞かれて、思わず上海市内と答えたら、市内限定使用のカードを出されたが、当然江西省では使うことができず、後日、また電話カードを買うはめになった。なんで使用地域を分けるかなあ。

上海市内の朱実先生のお宅へ電話する。
朱先生はこの6月に大阪・池田市で講演される予定があったのが、SARS騒動によって日本に来られなかった。それで、先生の岐阜市にあるアパートには多数の郵便物が山積されており、管理を任されている岐阜日中協会の藤本さんから、私が先生に渡すように頼まれてきたのだった。
かばん1つにあふれるほどの郵便物の重さは20sを越えている。まあ、代わりに朱先生のご自宅を使わせていただけるから喜んで持ってきた。

「浦東に着きました。2路バスで市内へ行きます」と伝えて、次は列車チケット担当者の携帯へ電話。
なんでも、上海駅は工事中のため軟席候車室が閉鎖されているらしい。それで、候車室にある旅行会社へ行くことができず、現地で受け渡し方法を相談することになっていたのだ。電話先は流暢な日本語を話す人でちょっと安心する。
しかし、私が「昼食をとりたいので、受取りに行く時間は確定できない」旨伝えると、
「それでは上海駅に直接行って下さい。錦江旅行社に電話すれば担当者が外で待っています。中国語しか通じませんが、あなたは言葉の問題はないと聞いてますので、大丈夫ですね」
っておいおい。

 新型の空港2路バスに乗り込むと、服務小姐が18元のチケットを切ってまわる。隣の席は白髪の外国人老夫婦、英語で小姐に話してかけているが、話がかみあってないようだ。中国語と英語がしばらく飛び交ったあと、小姐にチケットと20元札を見せられてようやく買うことができたみたい。
うーん、中国語や漢字を解さない欧米人はどうやってこの国を旅行しているのかな、気になるところだ。

陽射しがきついので、窓のカーテンを閉め、外の様子が分からないうちに、空港バスは南浦大橋を過ぎて静安寺バスターミナルに到着していた。
土曜日の正午で人通りの多い南京西路に出てタクシーを拾い、朱実先生のマンションに向かう。古いレンガ住宅や個人商店とコンビニや新築ビルが混在する通りに朱先生のマンションはある。
ここでも再開発の真っ最中、正面の門は工事で閉められて、住民は通用口から出入りしている。

マンション入口のフロントで朱先生の名刺を示して、エレベーターで8階へ上がる。
ドアや窓を開け放して、鉄格子の防犯戸だけにしてあるので、私の来訪はすぐ分かったようだった。
「よく来たね。昼食はまだだろう?待っていたよ」
部屋に通されて荷物を下ろし、さっそく郵便物の山と、お土産の春慶塗をお渡しする。家政婦さんが用意した昼食を先生と囲んだ。息子の朱海慶さんは今上海に帰ってきていて、明日また日本へ戻られるという。夕食のときにお会いできるだろう。

 「午後はどうするね」と聞かれて、上海駅へチケットを取りに行く話をした。
マンションのすぐ脇を走る24路市バスで新閘路へ行き、104路バスに乗り換えると上海駅まで行けると教えてもらい、さっそく駅へ向かう。
バス停には路線の全部の停留所名が書かれている。見ると、24路は西康路を南下していくルートらしい。新閘路、北京路、南京路・・・といったバス停名は東西に交わる通りの名前なので進行方向が分かる。
上海に限らず、中国の街は東西南北がきちっとした碁盤目状の道路が多いので、バスを利用する場合も方向感覚さえつかんでおけば非常に分かりやすいと思う。

24路バスがやってきた。料金は均一1元、でも南昌市バスよりボロい感じだなあ。
2つ向こうの新閘路で降りる。同路を東西に走るバス停を探して100mほど歩き、さらに公衆電話を探して歩いた。
ようやく見つけた電話から上海駅の旅行社へかける。
「何時に来られますか?」
えっと、今2時半だから30分はみておこう。3時です。
「上海駅正面は非常に大きいので、着いたら再度電話して下さい。外へ出てきますから」
分かりました。

104路市バスは2両が繋がった電車(トロリーバス)。乗り込むと料金箱がなかったので、どうするのかと思ったら、連結部あたりに立っていた車掌がやってきた。冷房車なので料金2元と地下鉄並み。ただし、ひんぱんに赤信号で止まり、渋滞もあって地下鉄よりはずっと遅い。最初に見込んだ通り上海駅まで30分はかかってしまった。
まあ、車窓から上海の街並み(駅に近いこの辺りは下町)が眺められるのは面白いけど。

上海駅の西側で降ろされる。公衆電話があったけど、駅まで少し遠いから、もう少し近くへ行こう。
しかし、駅舎周りにはカード電話がない・・・あるのは1元硬貨専用ばかりで、それも軒並み故障中。巨大な駅前広場も当日券売場も、ボロをまとって大きな荷物を抱えた地方出身の人民たちに占拠され、訳の分からない物売りがうろうろしているので、あまり雰囲気はよくない。警官が駅の入口にたむろする人々を怒鳴りつけて追いだしている。
閉鎖された軟席候車室前では移動献血が行われており、その少し先に黄色い公衆電話カバーが見えるが、電話機が存在しなかった・・・おいおい。しかたなくバス停まで戻って旅行社に電話を入れた。

「今、上海駅のどこですか?」
私は駅東の献血車の前で待っています。
「えっ、何ですか?分かりません」
うーん、献血が通じないか。軟席候車室の前に立ってます。
「分かりました。あなたの服装は?」
緑色の服で、青い背包を持っています。
「それでは、2、3分待ってて下さい」
電話機を置いて、候車室入口まで急いで向かった。しばらくすると、書類を手にした小姐がこちらへやってくる。あの人かなあ。

錦江の李さんですか?
「ああ、青木さんですね。今、上海駅は工事中なんです。こちらへ案内します」
李さんの後をついて駅の中に入る。警官に断って通用扉を潜り、雑然とした工事現場を通って旅行社のオフィスへ着いた。こんな様子では、絶対に旅行社へたどり着けなかっただろう。
「軟席候車室は今、4階に移動しています。中央エスカレーターを通って4階へ上がって下さい。発車時間1時間前には駅に着くようにしてください」

チケットを受け取り、ついでに100元札を10元札に崩してもらって上海駅を出た。今日のノルマは果たしたので、さっそく上海書城に向かおう。
地下鉄1号線で人民広場へ出て、2号線に乗り換え河南中路駅へ。そこから人でごったがえす土曜日の南京東路を横切り、まっすぐ福州路へ歩く。
30℃は軽く越えている蒸し暑さと、強い陽射しに汗が吹き出る頃、めざす上海書城が見えてきた。もうお馴染みの巨大書店である。

 1時間ほど立ち読みで時間をつぶして本を選んだ。あまり旅の最初に重い荷物を増やしたくない。
今回買ったのは、「珍蔵版中国古鎮遊・安徽、江西」「携程走中国・華中」前者は歴史のある古村を網羅した文化紹介本、後者の携程は私も日本でよく見ている膨大な情報量を誇る旅遊ホームページを下敷きにしたガイドブックだ。「日本名勝風情」名所旧跡から文化生活習慣まで中国語で紹介されている。江西省での大学講義に役立つかな。あと、「開心辞典」これは中国中央電視台CCTVで放送している中国版ミリオネアのクイズ本。
それから、あとはCDを見に7階へ行こう。

私は中国語学習に役立つかと思って6月からスカイパーフェクTVの中文放送を見ている。といっても流し放しにしているだけ・・・ただ、中国のドラマが意外に面白いのと、中国語ポップスのビデオがやたら流れるので、最新流行事情には少し詳しくなった。それで、今回の旅行ではCDやVCDを見て回るのを楽しみにしてきた。今まで、よく知らないままCDを買っていたけれど、事前に聴きたい歌が分かるようになったのだから。

ただ、今になって気づいたけど、上海書城の音像コーナーは広いくて量も多い割に、最新のソフトが少ない。流行を追っていないというか、これは新華書店も同じ。それで、街のあちこちにあるCDショップを回ることにした。こちらは店は小さいけど、CDもVCDも最新のものが揃っている。
それに同じCDで定価が安い。前者が台湾製の輸入CDだと58元もするのに、後者は中国製11元だったりする。この価格差は何なのだ。「反対海賊版歌手大集合」なんてタイトルのCDと並んでいるところを見ると、海賊版ではなさそうだけど・・・

結局、安いCDショップでいくつかCDを買い、中国語教室へのお土産もCDにすることにした。価格10元なんて、空港で買うお土産用お菓子に比べたら安いものである。以前は中国語版文庫の10元均一本を買ったけど、難しいと言われた。それならこっちの方が喜ばれるだろう。
時間が遅くなったので、また地下鉄駅に戻って2号線の静安寺駅へ出、レストランの灯りがまぶしく輝きだした南京西路でタクシーを拾って帰った。

 朱先生のマンションに戻ると、息子の朱海慶さんも帰っておられた。そのまま3人で夕食の席を囲み、テレビを見て過ごす。
中国のテレビ事情はなかなかすごいことになっている。1つのテレビ局でも娯楽台、ドラマ台、新聞台、体育台・・・と細かくチャンネル分けされている他、国土が広くて山が多いためか、各省のテレビ局が衛星放送を行っているため、上海にいながら内蒙古電視台とか安徽電視台などを見られてしまうのである。一体いくつのチャンネルがあるのだろうか?NHKとBSを入れてもせいぜい9チャンネルにすぎない日本をはるかに凌駕している。

私も日本で中文衛視を見ていますよ。と言ってもCCTVの「新聞聯播」は早口で抑揚も少ないので、なかなか聞き取れませんが。でも、中国のドラマは日本や韓国に劣らず面白いですよね。録画放送の番組は6、7割は字幕が付くので内容は分かりますし・・・
「特に面白いと思ったドラマは何?」と尋ねられて、今、日本で放送しているものでは「走向共和」が面白いですね。と答えると、
「ああ、辛亥革命の。孫文が出てくるドラマだね。あれはなかなかいいよ」

「走向共和」は清朝末期から中華民国時代にかけての歴史ドラマ。日清戦争、義和団事件、辛亥革命といった事件と、清朝皇室や孫文ら革命側の内幕が舞台になっている。主な登場人物は西太后、李鴻章、袁世凱と孫文。孫文はもとより中国(中国・台湾)の国父として評価が高いが、このドラマは中国近現代史きっての悪役だと認識されている西太后、袁世凱を、列強の侵略にあえぐ国難時期、必死に中国の舵取りを計ろうとした政治家として描いている点で、中国制作らしからぬものだ。日本に台湾を割譲して売国奴と見なされている李鴻章も、ここでは高い評価を受けている。

私欲の限りを尽くして国を傾けた悪オババ西太后と、中華民国を乗っ取って、長い内戦時代や日本の侵略を招くきっかけになった軍閥袁世凱が、人間的で国を憂う人物として描かれるのはびっくりしましたね。よく中国であのドラマが作れましたね。

「うん、最近は教条的な歴史の見方だけじゃない、いろいろな歴史観が認められるようになってきたんだ。あのドラマでも、日清戦争の相手、日本と明治天皇も近代国家の建設に成功したという、好意的な描き方をしている」

そうですね。確か、清朝が連日の宴会と官僚の私利私欲に踊っている間、明治天皇は冷えた握り飯すら我慢して近代工業と国民教育を整備した政治家になっていました。袁世凱も孫文に教えを請うて中国近代化を模索した結果、共和国では帝国主義に対抗できないと判断するんですよね・・・

「でもね、あれはあまりに反響が大きすぎて、途中で一度中断させられたよ。今まで歴史上の大悪人だった人物が正反対の評価を受けていたからね。好意的な演出に反発する人が多くて、新聞でも何度も討論が組まれていたんだ。その結果、後半を脚色し直して放送したんだね。まだまだ、革命や戦争の話題は扱うに難しい問題もあるんだが、みんなが自由に語れる時代になったから中国も変わったよ」

なるほど。ところで、日本で放送している衛視台には湖南衛視も入ってますが、音楽番組といい、ドラマといい、中国では地方のテレビ局が面白いですね。中央電視台CCTVはちょっと硬いNHK的で好みじゃないですけど・・・

「まあ、あれだけテレビ局が乱立していて、中国どこでも色々な地方の番組を見ることができるでしょう。面白くないテレビ局はすぐに淘汰されてしまうから、必死なんだよ。湖南衛視はその中でも老舗だけどね。「走向共和」だって湖南衛視制作だよ、知ってた?ところで、他に好きな番組は?」

劉若英が主演の「粉紅女郎」も今日本で放送中ですが、すごく面白いです。中国へ来て見ることができないのも皮肉ですけど。あれは舞台は上海で、日本の場面や日本の俳優も出てきますね。

「あはは、あれは面白かったね。罪がないドラマだよね」 
はい、今日VCDがないかと探したんですが、ありませんでした。代わりにサウンドトラックのCDを見つけました。 
「それじゃあ、これからやるドラマも面白いよ。舞台は文革前、50年代の東北国境地帯だけど、出てくる俳優はみんな東北訛りで台詞を喋っているんだ。聞き取れるかい?」

2話連続の人民解放軍ドラマを見ているうちに、急に眠気に襲われた。なかなか面白いとは思うけど、中国旅行はまだ初日、早めにシャワーを借りて寝てしまいたい。おやすみなさい・・・


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朱家角の旅(2003年9月14日 土)


私は上海で会いたい友人がいた。もと岐阜大学に留学していた上海人で、馬君という。今は故郷の嘉定区に帰って働いている。普段からメールのやり取りをしていたので、今度は上海で遊ぼう、と約束していたのだった。
ところが、「日曜日は休み」というから14日に会おう、とメールを送っていたのに、夕べ電話すると急な仕事があって休日出勤するはめになったという。
「夜は空いているので夕食を一緒に行きましょう」
えっ、私は今夜8時半の列車で南昌へ向かうんだけど。
「没問題、6時に待ち合わせすれば間に合いますよ」

 それで、昼間は私1人だけで観光することにした。
といっても上海市内の観光地はあらかた制覇しているし、買い物も興味はないし。そうだ、朱家角へ行こう。朱家角は上海周辺に点在する水郷古鎮のひとつで、周荘、同里、西塘などと並ぶ観光地である。周荘は前に訪れたことがあり、その他は上海からは少し遠い。朱家角は上海体育館から直通の旅遊バスで約1時間だという。ならば早い時間に帰ってきたい私にとってちょうどいい。

朝一番のバスに乗るために6時前に準備を済ませた。朱先生に断って部屋をあとにする。
私は、マンションの近くに南翔饅頭の支店があるのを昨日発見していた。上海へ来たなら何があっても小龍包だけははずせない。
出てきた蒸籠いっぱいの小龍包を前に、無糖の日本茶を・・・と思ったら、しまった、先生のお宅に忘れてきたのだった。仕方ない、今日は中国緑茶ボトルでがまんしよう。

さて、旅遊バスが発着する上海体育館への行き方。
24路バスで淮海路まで南下し、地下鉄1号線に乗り換えて体育館駅へ向かうのが早そうである。やってきた市バスに乗り、アナウンスに従って降りたけど、またしまった、24路バス停と地下鉄の駅は無関係の場所にあったのだ。
よく見ると、同じバス停を通る路線の終点は、龍華寺のある龍華となっている。体育館と龍華寺はすぐ近くのはずだから、そのままバスで向かおう。

久しぶりに見る龍華寺は、有名な龍華寺の塔を中心にすっかり観光地化が進んで、なんだか千と千尋の神隠しに出てくる湯屋のような、奇怪な東洋風テーマパークと化していた。参拝客を当て込んだレストランやホテルは寺院風を意識しているようだが、そのまま巨大ビルなので、なにかスケール感の狂った建物になっている。うーむ、日本のさびれた温泉地のような風情とも言えようか。

終点の龍華で降り、烈士陵園の脇、仏具や線香、花屋が並んだ通りを歩く。バス停や賑やかな一角があるが、どうしても体育館が見えてこない。照りつける陽射しに汗が止まらなくなった私は、広い中山路まで歩くと観念してタクシーを拾った。
「上海体育館まで」と告げると、運転手は怪訝な顔をしたが、私が「体育館を探しているけど見つからないから頼む」と言うので車を走らせた。
ところが、中山路を右折すると、なんとそこが体育館だった。またまたしまった、10元損したぜ。

正門前でタクシーを降りて、警官に旅遊バスの発着地を教えてもらい、広い敷地を延々歩いてバスターミナルに到着した。さっきのタクシーでここまで来ればよかったかな。でも時間はまだ8時すぎ、30分の始発バスに余裕で間に合った。
朝早くから観光客でごった返すバスターミナルの中でチケット売場を探して列に並ぶ。朱家角鎮の入場券と各種博物館チケットが含まれたセット券は65元。ちょっと高いけどまあいいか。

やってきた旅遊バスは新型だけど普通の市バスタイプ。
吊革が付いているものの、席が埋まった時点で次のバスがやってくるので、全員坐って行くことができる。
バスはすぐに高架道路に入り虹橋空港の脇を抜けて郊外に走ってゆく。この道は周荘へ向かうとき通ったことがある。2000年当時は工事の真っ最中だったけど、今では高速道路並みに広い快適道路だ。やがて、郊外団地もとぎれて地平線まで広がる田園地帯になり、独立した都市のような青浦区の中心街を過ぎると、目的地の朱家角に到着した。

朱家角鎮の観光用駐車場の周囲は、ありふれたコンクリートビルに囲まれた何の変哲もない田舎町である。
埃っぽいバスターミナルには上海人民広場と書かれたバスが何台も止まっている。どうやら朱家角行きは人民広場からの路線がメインのようだ。
「方言を話す人間は文化の程度が知れる」という身も蓋もない標語が掲げられていた。確か、上海駅には「上海は中国の玄関、普通話で歓迎しましょう」とあったはずだが、なんだかローカル度が強くなるごとに「普通話を話そう」キャンペーンも露骨になっていくようだ。
そんなに普通話を使わない人が多いのだろうか?

駐車場の端にあるスーパーの角を曲がるとゲートがある。観光客用と住民用に分かれていて、観光客はここでチケット検査をするらしい。
団体の後ろに並んでチケットを切ってもらい、地図がないか尋ねた。
「えっ、地図?ないのよー」
没有かー、仕方ないなあ、と思って歩き出すと、後ろからゲートの小姐が走ってきた。
「英文ならあるけど、あなた英語分かる?」
あはは、私は外国人なんだけど・・・英語は中国語より分からないけどね。一応礼を言って受け取った。

地名が英文で書かれた地図を見ても何のことやら分からないので、とりあえず中国人観光客についてぶらぶら歩いていった。
周囲はごくありふれた住宅街、ここのどこが古鎮なんだろう?やがて、目の前に大きなアーチ状の石橋が現れる。看板には「放生橋」とある。
この辺りまで来ると観光客の姿が多いので、たぶん古鎮はここから始まるのだろう。
石橋のたもとには、水を張った盥に金魚や亀を泳がせるおばちゃんたちがいる。何だろう?金魚掬いのようだけど・・・と思ったら、金魚を買え、と売り込みを始めた。そうか、放生橋というからには、かわいそうな金魚を河に放してあげて功徳を積め、という趣旨なんだな。
小さな子供に亀を買わせて、水辺に運ぶ親子連れの姿もある。



私は中国で功徳を積むこともなく放生橋へ上がった。
おお、すごい。石橋の上から見ると、大きな運河を挟んで両側にびっしりと明清時代を思わせる古い家が連なっている。右岸は漆喰の白壁土蔵が続き、左岸は水辺に張り出した風情ある茶楼が並ぶ。いいなあ、江南水郷というイメージにぴったりの場所だ。

そのまま白壁土蔵の街並へ下りてゆく。通りは昔のままの石畳で、当然自動車が入ってこられる幅もない。
上海に近い有名観光地の割にはのんびりした雰囲気も漂っているのは、まだ朝早くて観光客も少ないからか。やがて、小さな運河に突き当たり、その川沿いに整備された道を歩く。小運河の両側は石畳の歩道で、日陰を作るように緑の柳が続いている。いかにも中国らしい。
この辺りは完全に一般住宅だが、観光客が歩く歩道に堂々と洗濯物を干している感覚も、それにかまわずバシャバシャ写真を撮りまくっている観光客もなんだか中国らしい。

やがて、街の裏側のゲートに着いたので、運河の対岸を引き返すことにした。
どうやら朱家角には博物館が多いらしく、この辺りにも表示が出ている。せっかくセット券を買ったので、いくつか覗いてみよう。
すぐにあったのが「植物園」ここの見所は植物ではなくて、その建物。昔の豪商の邸宅をそのまま利用しているのだが、運河沿いの玄関から想像できないほど、奥は深くて広大だ。いくつもある中庭を囲んで迷路のように続く建物、運河を引き込み、江南に多い奇怪な太湖石で山やトンネルを築いて、その上に東屋を建てた庭、ヨーロッパ風の塔まであって、いかに清朝期の大商人が贅を尽くした生活をしていたか分かる。





朱家角の雰囲気がなかなか気に入ったので、小運河にいくつも浮かんでいる遊船に乗って舟遊びをしようと思いついた。
植物園の近くに遊船切符売り場がある。1人30分50元。船頭のじいさんに切符を渡し、1人で船に乗った。
柳が垂れる水面を、手漕ぎの船でゆらゆらと行くのもいい感じ。じいさんが盛んに話し掛けてくるけど、何を言っているのかさっぱり分からない。全然中国語に聞こえないのだ。私が「いやあ、朱家角すばらしい」とか言うのは分かるみたい。さかんにあいづちを打っている。
やがて、小運河を出て放生橋の下を流れる大運河に入る。たくさんの小船が浮かんで、それぞれ観光客が舟遊びを楽しんでいるし、川沿いの茶楼にも運河を眺めてくつろぐ観光客の姿が多い。船は放生橋をぐるっと回り込んで元の小運河へと戻っていった。





昼近くになって蒸し暑さも倍増してくる。小運河沿いの駄菓子屋で小豆アイス(豆沙)を買って食べながら歩いた。
袋をバリバリ開けると、おお、当然ながら粒粒の小豆アイスだ。日本と変わらないなあ、と思って口にすると、やっぱり中国のアイス、先端部に小豆がびっしり固まって豆の味しかしない。さては根元は・・・砂糖水が固まってすごく甘い。何で小豆と甘い砂糖水部分が分離してしまうんだろう?

放生橋を渡って、まだ早いけど昼食を食べることにした。街には茶楼やレストランが多そうだが、値段も量もありそうなので、近くの小龍包屋へ。
店先で香ばしい匂いを放つ生煎小龍包にすごく引かれたのだ。隣で緑茶レモンを買い(これは大正解。このあとずっと康師博の緑茶レモンで通したくらい)開けっ放しのいかにも中国らしい店に入る。3両が目安だったな、と考えて注文したら、小ぶりの焼小龍包がびっくりするほど出てきた。
10元で腹いっぱいになるのはうれしい。上海名物でもあるネギを散らした生煎饅頭は、ぱりぱりの皮が香ばしくてお勧め。

食後は朱家角のメインストリート、北大街を散歩する。
狭い石畳の通りを挟んで、木造2階建ての古い家がびっしりと並ぶ。明清時代の雰囲気抜群の場所だけあって、観光客でごった返している。さっきまでの街とは違い、全てお土産屋か飲食店になっていて、呼び込みも賑やかだ。決して押し付けがましくないので、冷やかして歩くのも楽しい。
私は暑くてたまらないので、扇子を買うことにした。割に渋い扇子が目に付いた専門店に入り、値札が見あたらないので、お兄ちゃんに「いくら?」と尋ねたら15元だと言う。あれ?20元、30元ぐらいするのかと思ってたので、ちょっと拍子抜けするなあ。
いくつか見せてもらいながら、一応「10塊でどう?」と聞くと、笑って「可以、可以」だと。うーん、実際は一体幾らなんだろう。






この辺りの旧市街は、小運河と石畳の路地、石橋が複雑に入り組んでまるで迷路のようになっている。ほとんど観光客向けの通りでもあって、ふらふらとさまよって歩くのがすごく楽しい。その所々には、清朝の役人邸宅、清朝末期の郵便局、漢方薬屋、醤油屋、米屋などの古い建築を利用した博物館が点在している。外があまりに暑いので、見かけた博物館に入って空調や扇風機の風に当たっている時間が極楽だった。

その中でお勧めなのは、「圓津禅院」かつて隆盛を極め、一度破壊されたあとで近年になって再建された禅宗寺院である。
オール黄色の派手な境内が中国仏教らしいが、台湾などと違って装飾はケバケバしくない不思議な落ち着きがある。この寺には日本の城の天守閣にも似た鐘楼がある。5層の塔を登ると、運河の周囲に広がる朱家角の街並が一望できる絶好の展望台だ。風に吹かれるのも気持ちがいい。ここには若いお坊さんがいて、寺再建の浄財を募っている。お布施を収めると最上階中央に吊るされた梵鐘を突くことができる。

さて、そろそろ1時になる。朱家角を満喫したので帰ることにしよう。
北大街を放生橋まで戻ってバス停に出た。上海体育館行きの旅遊バスは30分に1本、バスを待つ観光客は炎天下でじっとがまんしている。それに比べて人民広場行きのバスはひんぱんに発着しており、わざわざ体育館まで行かなくても上海市中心部にある人民広場発のバスを利用した方が便利だったろう。







待っていた旅遊バスがやってきた。
今度は古い観光バスタイプ、この路線の終点(始点)は朱家角ではなく大観園なので、すでに席の半分は先客で埋まっている。
列に並んだかいがあってなんとか席を確保、田園地帯を走り出したバスの揺れに眠気を誘われる頃・・・ドッカーン、強烈な雷鳴と共にどしゃぶりの雨が辺りを包んだ。前の道すら見えないほどの激しい夕立に、道路はのろのろ運転の車で渋滞しはじめる。
ああ、早く帰ることにしてよかった、とほっとした。けど、陣雨が勢いを増すうちに、あろうことかバスの中は雨漏りし始めたのである。屋根に付いた換気孔からざあざあと水が吹き込んでくるので、下にいた客はたまったもんじゃない。
服務小姐が客と協力して孔に雑巾を詰め、通路には掃除用のバケツを置いた。それでも雑巾の端からぽたぽたと水は垂れ続けていたのだった。

体育館のバスターミナルに戻っても激しい雨は止まなかった。
こういう日に限って折畳み傘はスーツケースに入れたままときている。しかたないので、タクシーを拾って地下鉄駅まで向かった。
単なる夕立なのに、道はすっかり冠水して水害のような光景と化している。急な雨で稼ぎ時になったタクシーの群れが派手に水をはねて走ってゆく。意外にもバスターミナルから地下鉄体育館駅までは距離があり、私は使いでのあるタクシーだったと満足した

地下鉄1号線で人民広場駅へ向かう。繁華街・淮海路の下を走る地下鉄には雨で濡れた乗客がびっしりと詰め込まれて、すごく蒸し暑い。
私はデイパックを前に抱え、車内の液晶モニターに映るCMを眺めながら満員電車を我慢していた。そのとき、ふと隣で日本語が聞こえる。
おや、珍しい、というか、上海人も日本人もあまり変わらないので、全然気にならなかっただけだけど。どうやら地下鉄の進行方向が分からないみたい。そこで、ちょっと声をかけた。
「日本人でしょ?どこへ行きたいの?」
路線図で見ると、その女の子2人組が帰るホテルは反対方向にあるようだ。
「この電車は上海駅行きだよ。次の駅で向かいのホームに来る電車に乗ればいいよ」
わあ、2人が言った。「よかった、日本語のできる中国人がいて」
っておいおい・・・そのまま次の駅へ着き、2人はぎこちなく「シエシエ」と言って降りて行った。
あはは、中国人にされちゃった。日本語しか話してないのに。

人民広場駅で地下鉄2号線に乗り換えて、静安寺駅の地上に出ると雨はすっかり上がっていた。
再びタクシーを拾って朱先生のマンションへ帰った。南昌へ向かうために荷物をまとめ、先生にお礼を言って部屋を後にする。
「11月19日に大阪の池田市へ講演で行くからね。その前後で岐阜へ寄るから藤本さんによろしく」
はい、私も先生の来岐を歓迎します。ぜひお越しください。

タクシーで一路上海駅へ。
スーツケースを駅の荷物預かり所に頼んで手ぶらになり、地下鉄1号線で上海人の友人馬君との待ち合わせ場所である人民広場へ向かった。
場所は確か上海博物館の正面玄関だったな。一度確認して、まだ時間があるのでたくさんの人が集まった一角を覗いてみる。突然、広場に噴水が吹き出し、観客から大きな歓声が上がった。みんなこれを目的に集まっていたのか。
それにしても、噴水の周囲はカップルかグループ、家族連ればかりで、思い思いにはしゃぐ光景は1人旅をちょっと寂しい気持ちにさせる。
早く6時にならないかなあ。

日暮れが近づき、人民広場もどんどん薄暗くなってきた。私がもう到着していることを知らせようと、公衆電話から馬君の携帯にかけてみた。
「ごめんなさい青木さん、今職場を出たところです。あと1時間かかります。7時にしましょう」
おーい、私は8時半の列車に乗るんだぞ。
「没問題、間に合います」
うーん、彼の没問題は当てにならないからなあ。前回も上海で会う予定にしていたのに、直前になって、仕事で蘇州にいるからこっちへ来ませんか?とか言われて結局会えずにいたのだ。

私はちょっと迷ったが、馬君を差し置いて夕食を済ましてしまうことにした。
豆乳で有名な快餐チェーン「永和大王」を見つけ、賑わっている店内で相席させてもらう。排骨飯と辛い春雨麺を快餐の文字通り急いで食べた。その足でコンビニへ立ち寄り水と緑茶レモンを買って、再び博物館前へ戻る。

すっかり日も暮れて真っ暗な博物館の玄関前は、地方から到着した長距離バスがずらりと並び、大きな荷物を抱えた人々が座り込んで、まるでバスターミナル状態。警官が立つ正面階段にも待ち合わせする人の山ができて、ざわざわしている。こんな場所で馬君は私を見つけることができるのだろうか?
7時30分まで待っても現れなかったら、私は上海駅へ向かおう。なんで男の友人を待つのに「冷静と情熱の間」みたいにどきどきしてなきゃいかんのだ、などと考えていると、ふいに道の向こうに知った顔を見つけた。

「エイ、馬先生」
声をかけると向こうも私に気づいて、人混みをかき分けてやってくる。なかなか感動的な再会である。
「ごめんなさい、すっかり遅れました。あ、紹介します。私の彼女です」
隣に小柄な女の子を連れていた。どうも初めまして。それより馬君、あんたは彼女を迎えに行ってて遅れたのか?
「はい、日本人の友人を紹介したかったんですよ」
うーん、すでに7時15分を回っているので、私にはゆっくりしている時間がなかった。上海駅まで地下鉄で移動して話をしませんか?
「あの、彼女が日式ラーメンを食べたいと言うので、南京東路へ行こうと思います」
それじゃ仕方ないね。そうだ、私は予定を1日早めて22日に上海へ戻るから、月曜日の晩に夕食を一緒にしようよ。
「分かりました。その日は早く仕事を終えるように約束します」
じゃあ、22日の同じ時間に同じ場所で・・・私と2人は握手を交わしてあわただしく別れた。ふう。

馬君たちと別れると、どうにも列車の時刻が気になってしかたない。
さすがに地下鉄はスムーズに上海駅へ到着し、私は荷物預けからスーツケースを受け取って4階にある待合室へ急いだ。
電光掲示板ではK287南昌行きは改札を始めている。ふかふかのソファに座る間もなく改札を抜けて、ホームに並んだ列車に乗り込んだ。
やっと一安心できる。

4人用軟臥コンパートメントの客は、それぞれアタッシュケースを持ったビジネスマン風の男性。
列車が発車するまでは携帯電話をかけたり忙しそうだったが、8時半に上海駅を離れると消灯時間も待たずにベッドにもぐり込み、備え付けの鉄道雑誌や鉄道新聞などを読んでいるかと思いきや、大きないびきが聞こえてきた。
列車で一緒になる中国人には愛想がよく打ち解けやすい人が多いが、さすがにビジネスマン同士ではそんなこともないようだ。私もさっさとふとんにもぐり込んだ。


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第二の故郷へ(2003年9月15日 月)


目が覚めると列車はすでに江西省の赤土の大地を走っていた。あたり一面濃い霧に包まれて、時折ぱらぱらっと弱い雨が窓に当たる。
まったく、江西省に入るときはいつもどんよりした天気だなあ。洗顔を済ませ、車窓を流れてゆく稲刈りを待つ黄金色の田圃を眺めてすごした。

7時になると列車放送の全国ニュースが流れ、そろそろ下車の準備を始める人たちで軟臥の車内も活気づいてきた。
中心部がどんどん現代化していく南昌市にあって、鉄道線路沿いには昔と変わらず灰色の工場や煤けたアパート群が続く。この陰鬱な風景が南昌の第一印象を確実に悪くしている。

上海からの列車は8時すぎに南昌駅の長大ホームに到着、巨大な荷物を抱えた人たちが地下通路をぞろぞろと歩いてゆく。
私もその長い行進の列に交じって改札を抜けた。そこに懐かしい夏雲さんの姿を発見、出迎えに来て貰えたんだ。
「早上好、好久不見」
知った人に再会してようやく南昌に帰ってきた実感が湧いてくる。

「青木さん、お元気でしたか?」
はい、おかげさまで。今年の南昌の夏はずいぶん暑かったと聞きましたが。
「気温40℃以上の日が続いて大変でしたよ。暑い南昌と言っても今年は特別ですね。雨も1ヶ月間全く降らずに旱魃になりました」
日本は冷夏でしたよ。晴天で気温30度以上の日が数えるほどしかなかったんです。米が不作ですね。
「江西省は9月に入ると雨が降って気温は下がりました。少しは過しやすくなりましたよ」
そういえば、小雨交じりながら風があるので、炎天下の上海よりすいぶんと涼しい感じがする。

「さっそく王さんに連絡しましょう」
外事弁公室のサンタナの車中、夏さんが仕事で景徳鎮にいる王雨森さんに携帯電話をかけた。
「ハイ、久しぶり。よくいらっしゃいました。私は南昌にいませんが、青木さんの予定は全て夏さんに任せてあります」
ありがとうございます。ところで・・・私は気になっていた景徳鎮開窯千年イベントのことを聞いてみた。
「ああ、申し訳ありませんが明日で終わるんですよ。個人的に景徳鎮観光をしたいのなら夏さんに相談してください」
そうか、残念だなあ、でも今週後半ならバスを使って旅行できるかもしれないな。

サンタナは辛家奄にある服飾工業団地の門をくぐった。私はトランクからスーツケースを降ろし、夏さんとエレベーターに乗る。
工業団地の6階、服部公司の入口には電話を受けた吉田さんが待っていた。
「やあ、よく来たね」前回に続いて、またお世話になります。
「じゃあ、私はこれで。大学の予定は改めて電話します。青木さんは夜には宿舎にいますね?」
はい。連絡を待っています。ところで、外弁にお土産を持ってきました。王雨森さんにお渡しください。
外弁に戻る夏さんに春慶塗を渡し、礼を言って別れた。服部公司の応接室で吉田さん、内山さんの2人の駐在員の方とお話しする。

内山さんは服部公司の副総経理、前回お世話になった総経理の福田さんと交代で中国に来ている。
社長室長の吉田さんには前回に続いてお世話になる。まず、お礼として日本から持ってきた春慶塗をお渡しし、南昌の近況など伺った。

SARS騒動のときは、南昌服部公司も休業を余儀なくされたんですか?
「いいや、中小企業には休むことなんてできないよ。北京、上海の日系大企業は駐在員を引き上げたけど、私らは日本へ帰る訳にもいかず、ずっと南昌に残っていたよ」
結局、江西省では患者は出なかったものの、南昌の街もぴりぴりしていたという。上海路の近くでも、ある日いきなりコンクリート団地の一区画が警察によって閉鎖され、消毒や検査が済むまで外出が許されないケースがあったらしい。どんな思いでSARSの日々を過ごしてみえたのだろう。

さて、5時半には戻ってきます。私は荷物を服部公司に預かってもらい、街に出ることにした。
「最近は鞄を切ったりする泥棒がいるらしいよ。なんといっても外国にいるんだから気を抜かないように。暗くなったらタクシーで帰ってきなさい」
吉田さんから注意を受けて懐かしい南昌散歩をはじめる。

辛家奄が始発の11番市バスで上海路を通り中心街へ。
郊外住宅地が広がるこの辺りはアパート群が並ぶ変わり映えしない風景、と思ったら、南昌市のめざましい発展はついに上海路近辺にまで押し寄せてきたらしい。道路の片側は掘り返されて舗装工事が行われている。
日本なら交互通行で管理され、旗を持ったガードマンが立っているところだが、ここは中国、交通ルールも何もあったもんじゃない。残された1車線に市バスもタクシーも、対向車も自転車も突っ込んでくるのでもう大混乱である。
事故が起きないのが不思議なくらいだが、さすがにバスをかすめて大型トラックが走り抜ける瞬間など、車内に乗っていても首をすくめてしまう。

さすが自転車の国、主要道路には分離帯で区切られた自転車レーンが設けられ、とぎれることなく自転車や小型バイクの群が続いて行く。
何気なく見ていると面白い乗り物がたくさん走っている。名付けて「ペダルアシストバイク」日本にも電動で坂道をアシストする自転車があるが、中国のそれは見た目がスクーターで自転車ペダルが付いている代物。平地を動力で走り、坂道は足漕ぎでエンジンを助けるのだろう。
いかにも非力な外観ながら、走りはなかなか軽快だ。それにコケても大したことなさそうだし。確か日本では規制によって動力だけで走る自転車は禁止されているはずだが、事故の軽さや手軽さからすれば中国の方がいいのでは?私は激しく欲しいと思った。

南昌市東部にあたる上海路、南京路一帯は道路工事もさることながら、街の半分が取り壊されて再開発工事の真っ最中だった。
古いレンガアパートの脇には更地が広がって、大きな建設重機が動いている。半年前、住宅街の真ん中で賑わっていた半露天の農民市場は跡形もなく、妙に小ぎれいな公園に変わっていた。今では現代美術風のオブジェや花壇が置かれているのである。うーん、上海路には似合わないなあ。
街中で続く工事のせいで、小雨交じりの天気にも関わらず空気はとことん埃っぽい。

南京路から目抜き通りの八一大道へ入ったバスはたちまち渋滞にはまって動かなくなった。
信号が変わっても割込車両が多くて進みようもない。平日の午前10時、ラッシュ時間とも思われないがすごい交通量である。半年前にはこんなに自動車の数は多くなかったはずだ。私はクリスマスイブの晩に総経理から聞いた話を思い出した。「2、3年後に毎日が渋滞地獄になって、10年後には地下鉄ができるだろうよ」どうやら、経済発展に伴う自動車の増加は2、3年という予想をはるかに超えるスピードで進んでいるらしい。
そろそろ南昌人も交通ルールを厳守しないと、割り込んだ者勝ちの意識のままではかえって時間がロスしてしまうよ。

八一大道をのろのろと進み、バスの前方に見慣れた八一起義記念塔が見えてきた。
記念塔の立つ人民広場はかつて広大な面積を誇っていたが、今では工事フェンスに囲まれて半分の大きさになってしまった。残りの半分に建っているのが、最近オープンした噂の巨大スーパー「ウォルマート」。さらにスーパーを挟むように国際貿易センタービルの建設工事が進められている。
八一大道のこの辺りはすっかり現代都市の顔、くすんだ中国地方都市の面影はここにはない。


 今日の南昌散歩、まずはウォルマート探検から始めよう。
平日ながら人出はまあまあ、相変わらず中国には昼間から遊んでいる人が多いなあ。吉田さんは「彼らは失業者だ」と言うが、失業している人は買物なんかしないだろうし。休日や夜間出勤の人が街に遊びに来ているのだろうか?
1階は専門店街、ブランドのスーツや金製品、時計店がテナントに入っている。韓国製キャラクター商品や雑貨、服など若者向けの商品を集めたハングル文字だらけの店が目立っていた。「韓国流行中心」とある。
うーん、まだまだ哈日族が浸透していない南昌で、韓国は「韓流」攻勢をかけているんだなあ。中国の韓国ブームを実感した。

さて、ウォルマートは2、3階部分にある。2階では万引き防止のために鞄をコインロッカーに預けなくてはいけない。中国ではスーパー、書店など、荷物の店内持込みを許さないところが多い。何だ、お金を取るのか、と思いきや1元投入で使用後にコインが戻る方式だった。ちょっとラッキー。
そこから4階に上がると家具店がずらりと並ぶ家具城。天然木100%、西洋風、シンプルな現代風、と店毎に趣向が違い、それぞれにベッド、テーブルなど1軒まるごとのアイテムを揃えている。5件セット○○○元、9件セット○○○元といったセット価格や、家具に併せた内装工事の案内が目に付く。中国でアパートなどを買うと、内装工事は自分で別注するのが習慣らしいので、家具もそれに併せてコーディネイトするのだろう。

さすがに客が少ない家具フロア、あまり覗き込むと店員が駆け寄ってくるので、3階のウォルマートに向かった。
これまた巨大なフロアには、衣料、雑貨、薬品・化粧品、スポーツ用品、書籍、CD・DVD、電化製品が天井まで積み上げられている、さすがアメリカ方式だ。スーパー入口の近くには「1元商品」のピラミッドが並ぶ。
結構ハイクオリティな感じだが、店内のあちこちに「天天平価」と謳っているとおり、街中の店と比べても決して高くない。もちろん価格交渉なんてできないけれど。

安さの秘密は国産品オンリーだからか。でも中国製品だと言われなければ気づかないほど商品の完成度が高くなった。日本の価格から見るとハイアールやTCLのワイドテレビなんてすごくお買い得である。
私が面白いと思ったのは、台所用品などの生活雑貨コーナー。ほとんど日本で売っているモノが揃っている。土鍋なんて絵柄まで全く同じ、こういった製品が中国から輸入されているんだなあ。ここでは功夫茶の茶器セットが30元程度なのが気に入った。土産屋ではちゃっちくても150元以上はするのだ。スーパーは隠れた土産物探しの穴場である。
それにしても弁当箱が山と積まれているのはどうしてか?中国人は冷めた食物が嫌いじゃなかったの?

2階の食品フロアへ。買物カートを載せたまま移動できる段差無しエスカレーターが珍しい。ありとあらゆる場所に商品が並んでいるが、エスカレーター脇には落花生やヒマワリの種「瓜子」などのおつまみ類の袋が思わず手に取ってしまうように置いてある。モノが溢れている感じだ。
そして、食品フロア。ここの豊かさはさすが食の中国、もはや日本のスーパーを遙かに凌駕している。
あらゆる種類が揃った冷凍小吃も面白いし、果物は海南島産の熱帯フルーツが積まれている。取り放題の冷凍水餃や生鮮食料品が斤売りなのは伝統的な習慣か。その場で調理している中華総菜コーナーには長い列ができているが、中でも北京ダックがローストされている様子にすごく惹かれるなあ。
さて、内陸に位置する江西省の海鮮コーナーはどうか。水槽がずらりと並び、生きたままの魚を売っている。隣の冷凍魚介が活魚よりずっと安いのは、新鮮第一の中国人気質を見るようで面白い。

最後に書籍を除く全商品を通すレジで精算してスーパーを出た。
レジもフル稼働してかつての社会主義商売の時代とは様変わりしている。買物が少ない客を専用に通す「快速レジ」まであるのだ。
そろそろ昼に近いけど、ウォルマートに入っているケンタッキーでは芸がない。私は南昌市きっての繁華街、中山路を歩いて勝利路歩行街へ向かうことにした。

昼食どきの中山路はたくさんの人で溢れていた。柳の並木に囲まれた東湖が広がる八一公園の脇に、私のよく行く快餐店がある。
1元1枚のコインを買って、好きな総菜を選びトレイに盛りつける方式で、余ったコインは精算してもらえる。中華料理で思いつくおかずが揃い、量も1人分、おまけに安いのだ。炒飯に総菜2、3品、スープをつけた定食が10元以下で済んでしまうのはありがたい。
湯麺や炒飯だけなら3元、お茶ボトルよりまだ安い。気になる味は高級レストランに及ばないだろうけど、私は庶民的な感じで好きな場所だなあ。

勝利路歩行街も昼休みの人出で、休日のような賑わいである。
この辺りは若者向けの服装やスポーツ関連の商店が並んでいるが、競争も激しいのだろう。店頭に立つ女の子が手を叩いて店の名前を連呼しているのは、あれで客寄せのつもりだろうか?中国人の若者グループだって、その様子を見て面白そうに笑っている。
最近は人混みでのひったくりやスリが増えてきたらしく、繁華街には巡回する警官の姿も多い。歩行街ではゴルフカートを利用したパトカーがよく走っていた。





歩行街の端まで歩いて、やってきた市バスに乗り、八一大道まで戻った。
今日は多少過ごしやすい気温だが、時折弱い雨が降るので外歩きにいい日とはいえない。私は時間を潰すために近くの21世紀書籍中心へ入った。八一大道沿いには新華書店系列の大型書店がいくつかあるが、21世紀もそのひとつ。カウンターに鞄を預けて店内をぐるっと回る。
上海書城は日本と比べても遜色がなかったが、ここは江西省、名前に反して店内の照明は薄暗くレイアウトも古くさい感じがする。置いてある本も雑誌やハウツー本といった軽い内容のものは少なくて、古典、現代の文学作品や政治、社会、医学書など硬い本が多い。
軽い内容で見栄えのいい装丁の本ばかりだったウォルマート内の書店とは大違いである。

中国の書店では、なんで客が床に座りこんで読んでいるのだろう?それだけ立ち読み(座り読み)する時間が長いのだろうか。
見た感じ大学生のような客ばかりだったが、ノートを広げて、必死に本の中身を書き写す者もいる。学習熱心だというのは分かるが、そんなことして大丈夫か?案の定、モップを持った店員が必要以上に床を掃除してまわり、そういった客を追い立てていた。

外国文学の書棚に日本小説コーナーを見つけた。さすが村上春樹が大人気だけあって、半分近くを「那威之森林」や「電視人」といった中国語訳本が占めている。あと「日本都市女人小説系列」といったシリーズものや、「江戸川乱歩偵探小説系列」なんてのもある。
渡邊淳一って、もしかして失楽園のことか?「情欲」とか「堕落」とか、なんかどろどろした漢字ばかりが並ぶ。ぼかした表現が多い和語と違って漢語はストレートだなあ。

今日買った本は、「宋詞三百首」と「江西省地図集」の2冊。
宋詞・・・には私が好きな詩文が多い。日本では圧倒的に唐代の李白、杜甫に人気があるけど、私が一番好きなのは宋代の蘇軾の詩だ。その一首「水調歌頭」は曲をつけて王菲が歌っていて、私が王菲の歌で最も好きな歌がそれである。ぱらぱらとページをめくっているうちに見つけて思わず買ってしまった。
江西省・・・は、江西省内の分県・分市地図集。ちょっと前まで中国地図は見事なくらい大ざっぱだったのに、今では田舎の県地図もゼンリン道路地図程度にきれいな見栄えになっている。

雨が止んだので、書店を出て歩き出した。まだ時間は早いし、足裏按摩にでも行こうかな。
八一公園の隣にある「文軒美容世界」は大きな按摩店で以前に連れていってもらったことがある。大きな獅子が置かれている入口をくぐり、フロントに「脚底按摩がしたい」と言うと2階へ上がれ、とのこと。昼間なので他に客の姿もなく、ちょっと緊張する。2階にはソファで暇そうにしているお兄ちゃんたちがおり、彼らが按摩師だった。
ソファが並ぶ部屋に案内されながら1時間幾ら?と尋ねると35元だという。500円くらいか。ソファに仰向けになって、まず足を漢方薬の湯に浸す。最初は熱いけど、体がぽかぽかしてなかなか気持ちいい。ただ、肝心の足裏按摩は、指圧の力がいまいち物足りないなあ。按摩師と適当に話しながら、もっと強くやっても大丈夫、とか全然痛くない、と言ってみるけどやや不満が残った。
お茶をもらって1時間の按摩は終了、フロントで精算すると50元になっている。足に浸した漢方湯やお茶代は別料金なんだとか、えー、そんなこと聞いていないのになあ。

台湾に比べて物足りない足裏按摩だったけど、終わってみれば体は随分軽くなった感じがする。
最後に21日の上海行き列車チケットを買い、辛家奄へ帰ることにしよう。私は文軒からタクシーを拾って今朝到着したばかりの南昌駅へ向かった。駅前広場のあか抜けない雰囲気に比べると、南昌駅のツインタワービルは随分浮いて見える。正面は候車室への入口、その横が駅ホテル鉄路大酒店の玄関、そして大きな切符売場のホールがあった。
噂に聞いていたとおり、切符売場には長蛇の列ができている。ただ、阿鼻叫喚の切符争奪戦といった光景はなく、ざわついているものの、おとなしく順番を待っている感じ。
巨大な電光掲示板に列車時刻表が出て、3天以内の列車票販売とある。え、1週間以内の列車票が買えるんじゃなかったの?

切符売場の片隅にある資訊処カウンターで聞いてみると、やはり早くて4日以内の列車票しか予約も受け付けないらしい。水曜日くらいか。
仕方がないので、私はそのまま11路バスに乗って帰っていった。終点、辛家奄の降り、解放路の大通りを渡って工業団地へ歩く。この辺りはタバコ屋や駄菓子屋、床屋といった小さな個人商店が並ぶ通りで、いかにも庶民的な雰囲気が漂っている。バス停前の歩道には10羽ほどの鶏が遊んでいて、路駐の自転車の陰で寝ていたりする。商店主が飼っているのだろうか?
それにしても、たくさんの人が行き交う道端だ、日本ならすぐ盗られたり虐められそうだが、中国ではそんな不心得者は少ないのだろう。なんだか余裕を感じる光景である。

時間は5時半、預けていたスーツケースを受け取るために工業団地6階の服部公司へ行き、吉田さん、内山さんと共に宿舎に帰った。
「ニイハオ、好久不見」ここの家政婦さんとも半年ぶりに出会った。
宿舎に用意された夕食は、たくさんの具が入った味噌鍋。ビールを飲みながら日本や中国のことを話していると、電話が鳴った。
「今晩は、青木さんの明日の予定です・・・」
夏さんからだ。明日は南昌大学で朝8時からの授業、李老師が大学後門口で待っているという。水、木両日は江西財経大学。担当は懐かしい朱老師、自分で財大まで来て欲しいそうだが、道は分かっているので心配ない。

そうだ、私が南昌へ来ていることを知らせなくては。私は電話を借りて文通相手の学生の番号にかけてみた。
南昌大学2年生の章君、許さんの寮電話には誰も出ない。章君の携帯電話番号は「現在使われておりません・・・」
あちゃー、また後日にするか。次に財経大学4年生の李さんの寮へ電話する。
「ウェイ、我是青木・・・」
出た相手は大きな声になって、
「ああ、青木さんですね。お久しぶりです。李さんは今不在です。彼女の携帯番号を言うので、かけてあげて下さい」

教えられた李さんの携帯に電話する。
「ウェイ?ああ、青木さん、お元気でしたか。今は日本、それとも中国?え、南昌にいるんですか」
小糖果と話をするのも半年ぶりだ。私が財経大学へ行くことを伝えると、前に授業をしたクラスの同学たちを集めて歓迎会を開いてくれるという。うわあ、ありがとう、出席するよ。それじゃあ詳しいことは後日また、再会を約束して電話を置いた。

よく知った街に、懐かしい人たち、第二の故郷に帰ってきたという実感が湧いてくる南昌1日目の晩だった。


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