中国旅行記 江南之春(2004年 江蘇省) 本文へジャンプ


上海へ(2004年4月30日)


2004年春、岐阜の日中交流で親しくしていた何人かの中国人が故郷へ帰っていった。
李さんもその一人、若いながら同年代の研修生300人を束ねる研修団長で、待遇改善やトラブル対策に駆け回っていた人だ。彼女は帰国したらすぐ遠距離恋愛だった彼氏と結婚するそうで、私も中国式の結婚式に招待してもらっていた。だけど、女の子の結婚式に出るのも気が引けて、結局行かずにいた。

そんなある日、李さんに「おめでとう」と電話をかけた私は、初対面?で日本語ができない旦那さんと中国語で話が盛り上がり、
「妻がお世話になりました。話は聞いていました。ぜひ我が家へ遊びに来てください」
さっそくお招きを預かった。こうしてゴールデンウィークを利用して李さんたちが住む江蘇省南通市へ、新婚家庭訪問の旅が始まった。
名古屋空港から上海浦東空港へ飛び、空港2路バスで南京西路の静安寺バスターミナルへ。夕暮れの南京西路には街路樹に電飾が灯り、いかにも高級そうなショッピング街にもまばゆい光があふれている。タクシーを拾い、上海でいつもお世話になっている朱実先生のマンションへ向った。

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嘉定水郷散歩(2004年5月1日)

上海の朝、朱実先生はもう起きて書斎で書き物をしてみえる。
おはようございます、と声をかけると、
「ああ、おはよう、朝食は外へいくかね?」
はい、喜んで。
ステテコにランニングという超ラフな姿の先生についてマンションのエレベーターを降りた。人通りも少ない早朝、外はまだ靄に包まれて、空気もどんよりしている。
なんだか中国へ来るといつもこんな感じだ。朝からすっきりしないのは大気汚染がひどいからなのだろうか。
「こっちへおいで」

道路を渡りバス停を通りすぎて、レンガ造りの家並みが続く古い一角へ。
おお、ここは上海の古い街並み「弄堂」じゃないか。先生は抜け道のような路地をステテコ姿で歩いてゆく。戸や窓は開け放たれて、家の中で食事をする人や、テレビの音が全部筒抜けだ。すすけた路地にしなびた野菜を売る人や、ごみ集めのリヤカーが窮屈そうに行き交い、今をときめく上海とは思えない。スーツ姿のサラリーマンが勤め先へ急ぐ表通りから10年もタイムスリップしたような不思議な雰囲気の場所だった。
ふいに弄堂が終わり、車が行き交う通りへ出た。また現代へ引き戻される。
通りの向かいは工事用のフェンスが張り巡らされて、新しいビルの完成予想図が掲げられている。2010年の上海万博をめざして再開発が進む上海では、古い弄堂が並ぶ街並みがどんどん壊され、更地になり、先生のマンションのような超高層建築が立ち並んでいくのだ。

めざす南翔小龍包はすぐ近くにあった。
上海では有名で、観光地豫園にもある中華チェーンの支店だ。
でも住宅街のこの店には観光客は皆無。客はみんな近所の住民たちで、入口の持ち帰りコーナーには大勢の人だかりができている。
もうもうと立ち上る蒸し器の湯気と、「早くしろ!」とばかりにカウンターに殺到する客たち、それを怒声でさばく服務員に少々ひるんでいると、先生は行列を押しのけて店の中へ入っていった。店の奥、テーブル席はそんなに混んでいない。そして、けだるそうに店内を掃除しつつおしゃべりに余念のない服務員たち・・・って、
あんたたち、持ち帰りコーナーの殺気をなんとかしようと思わないのか?

混雑するカウンターで小龍包と南瓜餅の食券を買い、待っていると熱々の蒸篭が湯気を上げてやってきた。
「今日はどこへ行くんだね」
今日はバスで上海近郊へ行く予定だった。
上海の周辺には周荘や朱家角といった有名な水郷古鎮が点在しており、観光地になっているが、今日はあいにく五一国際労働節の連休、日本で言えばゴールデンウィークだ。観光地はどこも混んでいるに違いない。そこで、私はガイドブックでも地味な扱いを受ける上海の北郊外、嘉定区へ行ってみることにした。

定期観光バスが出ている上海体育場へは市バスと地下鉄1号線を乗り継いで行く。
案の定、上海近郊の観光地へ向うバスツアーの発着地である上海体育場の旅遊中心には、早朝から観光客であふれ返っていた。改札口の電光掲示板によれば、嘉定区行きのバスは20分間隔でひんぱんに出ており、チケットはバスの中で買うようだ。
よかった、チケット売り場の長い行列に並ばなくて済んだ。



嘉定行き改札にバスがやってきて、ぞろぞろと乗り込み、不機嫌そうな服務員に料金を払って紙切れのようなチケットを買う。バスは普通の市バスタイプで座席が少なく通路に吊革が下がっている。乗客は大きな荷物を持った行商風のおばさんや、学生ばかりで、どう見ても観光地に遊びに行く行楽客には見えないなあ。

旅遊中心を出たバスは上海市の高層群ビルを見渡せる都市高速に乗る。
さすが旅遊バスだと感心したのも束の間、するすると地上の一般路に下りてしまい、あとは普通のバス停にちょこちょこ止まって乗客を次々に詰め込んでゆく。見る見るうちに車内はすし詰め状態になってしまった。満員になると、まだバス停に待っている客を積み残したまま出発し、次のバス停、次のバス停も飛ばして走ってゆく。

30分ほどうとうとして、はっと目を覚ますと、バスの中はずいぶん空いていた。
画一的なアパート群がどこまでも続く郊外住宅地を抜けて、ようやく町の中心地らしい賑やかな繁華街に入る。デパートやホテルに混じって歴史のありそうな寺院や、史跡の標識、町を見下ろす七重塔も見えている。
イベントが行われている大きな公園の入口でバスを下ろされた。灰色の空に埃交じりの強風が吹き抜けて、思わず顔をしかめる。
赤や黄色の原色バルーンで飾り付けられた公園に黒々とした人の群れが流れ込み、ブンチャカブンチャカした音楽がやかましく鳴り響いている。
私はイベント会場に背を向けて、秋霞圃へ歩いていった。





あの観光地の定番・豫園と並び上海三名園と称される秋霞圃だが、標識に従って進むも、周囲は何やら人気のない住宅地だ。やがて、格式ある門構えの庭園入口が現れた。
大きな垂れ幕に「慶祝上海F1レース開催」の文字、そういえば、嘉定区は上海の自動車工業基地に位置づけられ、中国初のF1レースが開催される場所、伝統とF1の取り合わせもなかなか面白い。

竹林と池に囲まれた秋霞圃は、文人趣味の侘びさびがあって落ち着いている。
原色でごてごて飾り付けられた豫園は、いかにも中国っぽい派手さがあるけれど少々悪趣味に過ぎるから、私にとっては秋霞圃のすがすがしい静けさが好ましい。

庭園を出て嘉定区の旧市街に向かう。
嘉定は上海近郊でも古い歴史を持っており、長くこの地方の中心地だった町。
気になる七重塔の上からは、運河が縦横に走りアーチの石橋や白壁の家並みが残る旧市街が見渡せ、イベント会場の拡声器の音が風に乗ってきれぎれに響いている。







そろそろお昼、雑貨店や庶民的な商店と観光客向けの店が混じった商店街で、昼食にした。
上海市内の有名なチェーン店はやはり超満員。私は台湾料理が好きだけど、あまりに閑散としていたからパス。こういう時は混んだ店を選択するのが正しい。

向いにそこそこ客が入った雲南米線店があり、私は初めて雲南過橋米線を食べた。
注文すると具や米麺の乗った小皿がテーブルの上いっぱいに並べられる。えっどうやって食べるの?服務員がどんぶりに入った熱々のスープを持ってきた。
他の客はどんどんスープに具を投入して、かき混ぜている。そうやるのか。
油の層が蓋のように広がったスープに麺や具を入れてかき混ぜると、ジュッと煮えて食べごろになるのだ。
雲南で科挙の受験勉強のために山に篭っていた夫に、熱々の麺を食べさせてやりたい、と妻が考案した料理なのだとか。橋を通り過ぎても冷めないように、スープの表面を油で覆った独特の麺料理だ。





昼からは黒竜江公園の湖畔にある嘉定県孔子廟へ。
かつて上海地方で官吏登用試験の会場として使われていた場所だ。現在は科挙博物館になっており、特にカンニングの歴史が面白い。下着にびっしり文字が書かれていたり、虫眼鏡で覗かないと読めないような豆本のカンニングペーパーがあったり。
こんな苦労してカンニングペーパーを作るくらいなら、その内に覚えてしまいそうなものだ。





誇らしげに飾られた歴代首席合格者の名簿を見ながら外へ出ると、大きな神木があって赤い布が幾重にも巻きつけられている。よく見ると、「○○大学合格」とか書いてある。
合格祈願の絵馬か。どうやら孔子様は中国では受験の神様になっているようだ。
神木には次々に受験生らしい若者がやってきて赤布を結んでゆく。

何かごそごそするなあ、ふと見上げたら、神木の枝によじ登る受験生が!
一番上で赤布を結べばご利益があるだろうけど、他の受験生たちが結んだ赤布を踏みつけ、神木を踏みつけては逆効果じゃないの?
まあ、ライバルを踏みつける、という意気込みは感じるけれど。





上海郊外の穴場ながらなかなか楽しめた嘉定区を後に、公園脇のバス停から旅遊バスで体育場へ帰る。
始発のバス停では余裕があった座席が、黒山の人だかりがあるデパート前ですし詰め状態になった。ラッキー。うとうとして目が覚めたら、バスはもう摩天楼がにょきにょきそびえる上海市内を走っていた。


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風雲三国城(2004年5月2日)


中国第3日目。
私は上海を離れるために早朝に朱先生のお宅を辞してタクシーで長途汽車站に向った。
長距離バスターミナルから華中地方の各都市に向けて高速バスがひんぱんに出発している。
今日の目的地は無錫、「きぃみの知らぁなぃむぅぅしゃくぅのまぁちぃへぇぇぇ」でお馴染み?の無錫である。
とはいえ、隣の蘇州は有名ながら、無錫はあまりピンとこない。
実は無錫郊外には中国有数の大きさを誇る太湖があり、私は湖畔に作られた三国志のテーマパーク「三国城」の様子をテレビで見た。
おお、日本人は三国志大好きなのに、なぜこんな情報がガイドブックになかったのだろう?
そこで、今回の旅の目的のひとつは中国のテーマパーク探検なのだ。



市街地を抜けて高速道路に乗り、どこまでも広がる江南地方の平原をバスは突っ走る。
一面の畑が過ぎると、今度は一面に広がる工業地帯。おお、すごいなあ。ちょっと遠近感がつかめないほどスケールの大きな工場が曇天の下に次々に現れる。ユニクロなど日本企業の工場も多く、経済発展を続ける中国が世界の工場と称されるのも納得できる光景だ。

到着した無錫長途汽車站は鉄道駅に隣接していた。
無錫駅の荷物預かり所にスーツケースを預け、身軽になったらテーマパークに出発だ。
駅前の市バス乗り場には、三国城の派手なラッピング広告を施したバスが止まっており、太湖畔に点在するリゾート地やテーマパークを結ぶ路線だと分った。

ほどほどの客を乗せて発車したバスは、雨こそこぼれていないものの、どんよりした曇り空の無錫の街並みを抜けてゆく。経済成長真只中の都市らしく、あちこちでビルや道路の工事が行われ、街区がごっそり再開発で取り壊された場所もあって、市内はとにかく埃っぽい。
そのため、無錫市内にあまりいい印象を持てなかった。





バスは市街を離れて田園地帯に入ってゆく。
新しく整備された広い幹線道路の両脇には、ぴかぴかの欧風豪邸がずらりと並んでいる。最近の中国で金持ちに流行の別荘地である。ホテルが建つリゾート地では太湖が見渡せた。相変わらず曇天の下、水平線が霞んだ湖面が、茫洋と広がっている。
やがて、丘陵地の上に万里の長城っぽい建造物が見えてきた。
中国中央電視台の電影城だ。電影城は日本で言うところの映画村、時代劇の撮影所で、無錫寄りから唐城、水滸城、三国城の3つのテーマパークが並んでいる。

私は一番奥の三国城でバスを降りた。
無骨な古代風の城門に、鎧を着た衛兵が立って記念撮影に応じている。
3つのテーマパークは1日では見て回れないほど広いので、三国城と水滸城の聯票を買って園内へ。入口には漢代を再現した三国志ホテルもあり、園内のレストランでは三国時代の料理を出しているそうだ。

まず、魏、呉、蜀の三国志の英雄の彫像を見る。
ここも人気の写真スポットで、大勢の観光客が記念撮影の順番を待っている。
さすが劉備や諸葛孔明は人気だなあ。
次に、曹操は悪役だけど、中国では実力ある指導者として結構人気があるのだ。
そして、江南のご当地英雄・孫権って・・・
え、観光客が誰もいないけど、呉ってそんなに人気がないの?
三国時代、この辺りは呉に属していたんじゃないのかなあ。



















三国城は遊歩道が張り巡らされ、順路に従って「桃園結盟」「赤壁の戦い」などの石碑が立っている。「赤壁の戦い」はプールに浮かぶミニチュアの魏の船団。もちろん、見ごたえのあるパビリオンもある。太湖を見下ろす巨大な宮殿は呉の孫権のもの。意外に中華風の派手さがないのは、古代の気風を表しているのだろう。玉座に皇帝の格好で座って記念写真を撮ることができる。

太湖岸には水上要塞から出る宮殿風の遊覧船や駅馬車といった乗り物もあった。
九宮八卦塞とは日本でもかつて流行した巨大迷路のことだった。
三国城の見どころは、三国志のアトラクション。馬術や戦闘シーン、一場面を再現した劇などがある。なかでも、宮中の舞はさすが中央電視だけあって美人ぞろい。みんな女優の卵とかなんだろうな。
アトラクションを終えた武将や兵士たちが園内をぞろぞろ歩き、観光客との記念撮影に応じている。その傍らで曹操と劉備が談笑していたりする。







次に三国城から隣接する水滸城へ、時代を一気に千年も飛び越える。
北宋は悠久の中国史にあって文化が成熟した時代でもある。スケールの大きな宮殿や、街並みが再現されている。梁山泊の豪傑たちが酒をあおっていそうな酒場や、大きな寺院など、水滸伝の世界へ入り込んだような精巧さで作りこまれている。

ところが、宋朝の建築物も意外に渋い。
中華、中華した派手さがないのだ。ときに日本風でさえある。
実は日本の鎌倉時代、中国の宋朝は禅宗などを通じて日本人の生活や文化に大きな影響を与えたのである。その後、モンゴルの支配などによって中国の伝統文化は大打撃を受け、明清時代には大きく変わってしまった、と言われている。
なんとなく宋朝に落ち着いた親しみを感じるのはそのせいだろう。







そして、水滸城でも伝奇小説の一場面を再現したアトラクションがある。
お尋ね者の張り紙が張られた街並みから城門を出ると、広いグラウンドがある。ここで、宋軍と反乱軍の激しい戦いが行われるのだ。ちなみに、城門に「東京城」とあるのは、北宋の都「開封」のことだ。当時は中国に東京があったのね。
突然、城門に騎馬兵が飛び込んでくる。
おお、びっくりした。どうやらアトラクションが始まるらしい。
急いで観覧席へ移動する。やがて両軍が登場し、将軍が名乗りを上げて戦闘に突入する。騎馬が駆け回り、火の手も上がってなかなかの迫力だった。











水滸城に満足してテーマパークを出る。
ここは面白かった、ただ、惜しいのはお土産に適当なものがないこと。
せっかく誰でも知っているキャラクターが揃った三国城と水滸城である。もっと記念グッズを揃えてほしかったな。CCTVの文字が入った中央電視台グッズや無錫名産の紫砂磁器くらいしか売っていない。
中国にしては商売気がないぞCCTV。

城門を出て無錫に戻る市バスを待つ。次々に来るけれど、一番奥の三国城からすでに満員なので、どれもすし詰め状態である。
ドアが開くと乗車待ちの行列が崩れて、人々が入口に殺到する。
それを怒鳴りつける服務員。
うーん、こんな状態で乗れるかなあ。
2〜3台のバスを見送って意を固め、次のバスで入口のステップに身を捻り込んだ。
押し合いへし合いの内に、体が車内に収まる。「票!票!」と叫ぶ服務員に小銭をつかんで手をのばすと、誰かの手がにゅっと伸びて小銭を受け取り、やがてくちゃくちゃの紙切れのような切符が戻ってきた。
おお。
後部の手すりやバーにつかまって、アクロバットのような体勢でひたすら耐える。
ああ、疲れた。



町へ戻ると、外はざあざあ雨。
小走りで無錫駅へ駆け込んで荷物を受け取り、タクシーで今日のホテルへ急いだ。
大雨で薄暗くなった街並みを走り、電飾がまぶしい立派な玄関の前にタクシーが横付けされ、ドアマンが飛んでくる。
おや、間違いじゃないの?ここは万怡大酒店・ラマダホテル、私が日本から電話予約したのは3星級の華美大酒店なんだけど。
運転手がドアマンに確認すると間違いないらしい。
私は雨で濡れた荷物を引きずっておずおずとフロントに向った。

部屋もぴかぴか、ベッドはふかふか、今日は疲れたからゆっくり休めそうだ。
ここは無錫の中心街だけど、雨の続く外へ出る気がしないので、ホテルの中にある日本食レストランで食事をした。部屋に戻って李さんの携帯に電話をかける。李さん夫婦は友人と杭州へ旅行し、私に合わせて今日、無錫に到着したのだという。私の投宿しているホテルの名前と場所を告げて明日の再開を約束した。
「明天見」


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大仏を見に(2004年5月3日)


李さんと再会する日は朝から小雨が降るあいにくの天気だった。
チェックアウトして待つ。
・・・遅いなあ。
ロビーで待ちあぐねること1時間、やっと李さんたちが現れた。
李さんと旦那さん、友人夫婦の4人だ。どうやら慣れない無錫の町で、このホテルを探すのに迷っていたらしい。
彼女たちは友人の王さんが運転するサンタナで、長江北岸の町・南通から杭州へ2泊3日のドライブ旅行に行ってきた。無錫には昨日の夜にやってきて、電話したときはまだ車の中だったという。
「夕べは遅かったの?」
どうやら安い旅館が軒並み満室で、空いていても汚かったり、シャワーがなかったり、結局夜中の1時近く、郊外の開発区まで行ってようやく空室のある旅館が見つかったのだという。さすが中国版ゴールデンウィークだけはある。
中国では旅行の際に予約はしないの?
「はい、まず予約しませんよ。たいてい宿はすぐに見つかるし、予約して気に入らなかったら嫌でしょう」
そんなものかなあ。小雨そぼ降る無錫の町をサンタナが走り出す。
「青木さんはどこへ行きたいですか」
私は昨日、三国城へ行ったよ。無錫は太湖が有名だよね。
「有名な公園があるけど、あいにくの雨だし。そうだ、大仏に行きましょうか」
うん、私はどこでもいいよ。



私たちは太湖の畔にできたという無錫東方大仏を見に行くことにした。
久しぶりの再会に話がはずみ、2時間ほどの道程もあっという間だった。太湖を一周する道路を走り、山に囲まれた小さな村を過ぎる。
「あ、見えました。あれが大仏です」
え、どこ?
指差す方を見ると、前方に霞む山の上、金色に輝く大仏が肩から上を覗かせている。
わはは、山から突き出た大仏なんて初めて見たよ。どれだけでかいのか。スケール感がつかめずに思わず笑ってしまった。「大仏出現!」という感じである。

山を回りこんで大仏の駐車場にやってきた。
観光バスがずらりと並び、駐車場待ちの車の列ができている。
あぶない!突然サンタナの前におっさんが飛び出してきた。思わず肝を冷やす私たちに
「うちで食事してくれたら、駐車場代を只にするよ」
レストランの客引きだった。
交渉の末に王さんが承諾し、おっさんが助手席に乗り込んでくる。サンタナは村の路地をうねうね走り、とあるレストランの前で停車した。階の個室に通され、川えびや淡水魚などの無錫料理を注文する。



しかし、支払いの際に王さんと服務員がもめだした。注文した時の服務員は「割引しますよ」と言ったのに、別の服務員が持ってきた伝票では、値段がそのままだったらしい。
「おかしいじゃないか」
「そんなこと聞いていない」
個室を出て、フロント前で服務員と押し問答になった。
伝票をつけた服務員、注文を受けた服務員は奥へ隠れてしまい、周りの客たちもがやがやと集まって私たちの言い争いを見ている。
ちょっ、ちょっと、どうするの?
結局、根負けした店が値引きをして収まった。
「中国のマナーは悪いです。観光客だと思ってすぐ騙そうとするんだから」
李さんが憤慨して言う。まあ、気を取り直して大仏へ向おうよ。
門前町にはずらりと土産物の露店がならんで、客引きに忙しい。
「お土産を買うのなら外の方がいいですよ。中に入ると値段がぐんと上がります」





やたら豪勢な山門でやたら高いチケットを買う。
善男善女で賑わう境内は金ぴかに光る仏教オブジェで飾り立てられ、ありがたさよりも成金趣味のいやらしさが勝っている。その様子は、北陸地方の某大仏のような観光テーマパーク寺によく似ていた。
広場にそびえる白い巨大な柱に「阿育王碑」とある。
「阿育王は古代インドの王様で、残酷な戦争を反省して仏教を広めた人ですよ」
李さんが説明する。若いのに歴史に詳しいねぇ。ちなみに柱の最上部、ライオンが支える車輪は仏教の象徴で、インド国旗の中央にも描かれている。
山門からかなり歩いて大仏の下まで来た。大仏そのものも巨大だけど、さらに高さを強調するために山の中腹に位置している。ここから長い階段を上がっていくのだ。ようやく上り詰めて振り返ると、霧に霞む太湖がどこまでも広がっていた。



大仏の台座に入口があって、大勢の人が吸い込まれてゆく。
そうか、胎内巡りができるのだ。善光寺とか、こういった胎内巡りものが大好きな私は中へ入っていった。大仏の真下は仏教博物館になっていて、中国国内をはじめ世界各地の仏像などが解説されている。敦煌の仏教壁画の再現もある。

解説によれば、中国には雲崗や大足など古代の大仏が西南北にあるが、東にはなかった。そこで東方大仏が国家鎮護を祈るため建立され、国家領導も支援を惜しまなかった・・・って共産党の国が大仏に国家鎮護をお願いするの?

大仏の足元にあたる外に出た。
折からの強風で雨粒がぴしぴし顔に当たって痛い。大仏の服のひだに沿って雨水が滝のようにざばざば落ちてくる、私たちは急いで中に引っ込んだ。
胎内巡りの下りは、ひたすら何階ものお土産屋を見て回るようにできている。
仏像のミニチュアが並ぶお土産屋を冷やかしながら歩いていると、
おや、これは日本のお守りじゃないの?
「いいえ、中国のものですよ。交通安全守護って書いてあるでしょう」
いやいや、これは日本語だって。
うーん、いまや日本のお守りまで中国で生産するようになっていたのか。
きっと中国でお守りを生産している工場が、一部を国内向けに流しているのだろうけど、中国製のお守りを日本の神社で買って、ご利益はあるのかなあ。

冷やかしついでに、服務員に値引きを交渉してみた。
すると「これはありがたい神仏のもの。まけろ、なんてご利益がなくなります」とのこと。
仏の顔も使いよう。ちゃっかりしているなあ。私は何も買わずに大仏を出た。
山門を出ると、傘を差したお土産売りがどっと群がってきた。確かに同じようなお土産が中で買うよりもずっと安くなっている。結局欲しいものもなかったけど。

トラブルがあったので心配していたけど、レストランに止めたサンタナは当然というか、無事だった。強くなった雨の中、サンタナは長江のフェリー乗り場を目指して北上する。長江を渡るには高速道路もあるけれど、大回りになるので、一般国道とフェリーを使うのと大差ないらしい。
車中でうとうとして目が覚めた頃、車は常熟市を過ぎて、張家港市に入っていた。
長江めざして走っていたサンタナが、街中で迷ってしまった。柳の並木が続く掘割をぐるぐる回って町から抜けられない。直進すると歩行街にぶつかって進めなかったりする。
信号待ちの間に道を聞こうと、李さんの旦那さんが窓を開けて隣の車に話しかけた。
「?何を言っているか分らないよ?」
相手の反応に王さんが笑う。
「君の言葉は泰州なまりがあるからなあ」
僕が聞くよ、と言って王さんが通行人に尋ねる。
「○▽※@!」
今度は王さんが目を白黒させた。
「何を言っているのか分らない・・・」
南通はここから長江をはさんで50kmも離れていない。なんで言葉が通じないの?
「ここら辺の方言の差はひどいんですよ。隣の町でも方言が違います。まして江南と江北では方言だと通じません」
へえ、そうなのか。
中国の方言、上海語や広東語は外国語のように違う、とは知っていたけど、近くの町同士でここまで違うのだ。

ようやく長江の川縁にたどり着き、ノルマンディ上陸作戦の上陸用舟艇のようなフェリーに乗り込んだ。満車になったフェリーはゴトゴト発動機の音を響かせて動き出す。
雨が叩きつける外へ出て長江を眺めた。
目の前で赤茶色の水が大きくうねり、対岸の見えない水面は赤い海のようだ。フェリーの近くにびっくりするほど大きなタンカーや貨物船が浮かんでいる。外洋船がそのまま河を遡って上流の町まで行くなんてすごいなあ。
外に出た時間はほんのわずかだったが、強い雨と風で写真もとれず、サンタナの車内に引っ込んだ。30分ほどかけて長江を横断したフェリーは、川岸の砂地へガガガァンと乗り上げ、前方の壁が開いて車の上陸道を作る。私にとって初めての長江北側への上陸である。

国道をしばらく走って南通市街に入る頃には辺りは闇に包まれていた。
南通の表通りはネオンの光に包まれて、ライトアップされたテレビ塔下の公園にもたくさんの市民が雨上がりの散歩を楽しんでいる。
サンタナは市の中心部を抜けてアパートが立ち並ぶ団地に入り、李さんの家の前で止まった。部屋に荷物を下ろして、王さんたちと近くの北京刷羊肉店で待ち合わせ、中国風羊のしゃぶしゃぶを囲んだ。



これは北京の名物料理で「刷」がしゃぶしゃぶという音を表している。
真っ赤で見るからに辛そうなスープと、淡白な味の白いスープの2種類があって、注文すると11人にぐらぐら煮立った小鍋が運ばれてきた。2003年に中国全土を震撼させたSARS騒動によって、大勢で同じ鍋をつつくスタイルが敬遠されているらしい。
私と李さんの旦那さんは辛いスープ、あとの3人は淡白なスープを選んだ。
「私は辛いのが苦手なんです」
へえ、意外だね。中国人はみんな辛い物好きかと思っていたよ。
「それは内陸部の四川省や湖南省の人たちです。上海に近い地方では、清淡(あっさり)、甜(甘い)味付けが好まれます」

まだクーラーを効かせる季節でもないので、熱々の辛いしゃぶしゃぶを口に入れたとたん、大粒の汗が噴き出してきた。汗をかきつつ、しゃぶしゃぶを食べて冷えたビールを飲む。
李さんに会えたし、旦那さんや王さんたちと知り合えて楽しかった。私が払うよ。
「青木さんは遠くから来てくれたお客さんです。私たちが払います」
ありがとう。

今日は李さんのアパートに泊めさせてもらった。ドアを開けると中は広いフローリング、靴は玄関先で脱ぐようになっている。日本と同じ部屋ではスリッパに変えるんだ。
「アパートの内装は自分であつらえます。だからフローリングを汚したくないですよ」
なるほど。その晩は李さんや旦那さんと、李さんが日本で働いていたときの話題で遅くまで盛り上がった。もともと李さん家族の家だったアパートだけど、両親は蘇州で働いているので、蘇州にも家があるそうな。金持ちだなあ。私はお父さんの部屋を貸してもらって寝た。


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月光下の長江(2004年5月4日)


翌朝目覚めるとすっきり快晴。
中国へ来てからずっと、どんよりした天気が続いていたので、新鮮な気分になる。
李さんたちは杭州旅行の疲れか、なかなか起きてこない。
まあ、時差が1時間あるから、私の方が自然に早起きになってしまうのだけど。
やがて、李さんたちも起き、旦那さんが外で葱餅や南瓜餅を買ってきた。
お粥とスナック感覚の揚げた小吃で中国風の朝ごはんが始まる。食堂には国の模範職員の表彰や盾がずらりと並んでいる。李さんのお父さんは空港職員なんだ。
「両親の転勤が多かったので、小さい頃は中国各地を転々としましたよ。甘粛省の砂漠地帯に住んでいたこともあります」







すごいね。少し遅めの朝食をとって、李さん夫婦に南通の町を案内してもらう。
掘割がぐるりと旧市街を取り囲む南通市は、長江北岸に開けた古い港町。平原に飛び出たような狼山が有名で、仏教寺院などもあるようだけど、市街地から少し離れている。
私たちは文峰塔や古い洋館が残る旧市街を、水辺の緑がまぶしい掘割に沿って散歩した。

まずは南通博物館へ。古い街並みを再現した博物館は、紡績工業で栄えた歴史や、伝統工芸の藍染について解説している。外に出ると、かつて通州と呼ばれた南通の旧市街をぐるりと囲んでいた城壁・城門があり、郊外の藁葺き農家や、足踏み水車などもある。





博物館の近くに李さんの旦那さんの会社があるという。
寄って行きませんか?と言われ、なんだか分らないけど、休日で閉まっている会社の中に。
鍵を開けて事務所に入り、応接セットでお茶を入れてもらう。旦那さんは不動産会社の責任者なのだそうだ。周囲を見回していると、李さんがオフィスの奥で手招きする。
何?事務机の後ろに回ってみると、おお、卓球台があった。
「暇だから卓球でもしませんか?」



旦那さんはわざわざ卓球のために、私を会社まで案内してきたのだと言う。遠慮したら、李さんたちは休日で無人の会社の中、夫婦で卓球を始めた。
オフィスに鎮座する卓球台、実にシュールな光景だ。
誘われて李さんと対戦したけれど、中国人にはかなわなかった。惨敗である。

30分ほど卓球に興じたあと、テレビ塔がそびえる市中心部の広場へ行き、レストランで石焼ビビンバのような石鍋で出される砂鍋飯を食べる。有名な料理らしく、空席待ちの列が出来ている。地元の人が多い店の味に間違いはない。
午後は旧市街をぐるりと囲む掘割でボート遊び。
電動ボートを借りて迷路のような水路を進んだ。広い水面ばかりでなく、行き止まりや、低い橋などもあって水路探検みたいだ。卓球に、公園でボート遊び、なんだか海外旅行に来ている感じではないなあ。







楽しい時間はあっという間にすぎ、もうそろそろ上海へ向わなければいけない時間だ。
テレビ塔近くのチケット売り場で上海行き高速バスの切符を買ってアパートに戻り、名残は尽きないけれど、スーツケースを手にタクシーに乗り込んだ。バスターミナルへは李さんが付いてきてくれる。夕方発の高速バスは到着が遅れていたけれど、やがて改札が開いて私は上海へ向うバスの人になった。
李さん、ありがとう。さよなら、旦那さんにもよろしくね。
「はい、また遊びに来てくださいね」
うん、いつかまた来ますよ。

夕日が照らす平原を高速バスは走り、長江のフェリー乗り場に着く頃には、日がとっぷりと暮れていた。水平線に明かりがちらちら見えている。あれは水平線じゃなくて、長江の対岸の明かりなのだった。
さすがに広いなあ。
バスを降りてフェリーの階に上がってみた。
そよ吹く風も穏やかな、べたなぎの長江をフェリーは滑るように進んでゆく。タンタンタンという規則正しいエンジン音だけが夜の川面に響いていた。
満月が昇った空は、星も見えないほど明るい。月を映して水面もきらきら輝いている。ふいに光の円形が波で崩れ、南通港へ向うフェリーが波紋を引きながら通り過ぎていく。
静かな夜、月光下の長江。





江南へ渡った高速バスは、上海に向う高速道路に乗るまでの間、トウモロコシ畑の平原に点在する小さな町をつないで走った。
ああ、お腹が減ったなあ。バスターミナルで李さんが買ってくれたパンとビスケットを食べ、あとはシートに身をかがめて眠った。
気がつくと高速道路の上を走っている。道路標識に懐かしい「嘉定」の文字が見える。
あと少しで上海だ。

バスは光に包まれた上海市街に入り、上海駅の近くで停車した。
私の今夜の宿は龍門賓館、駅から歩いてすぐの便利なホテルだ。チェックインする頃には、もう夜9時を回っている。お腹が減っていたけれど、シャワーを浴びて帰国の準備をしたら、疲れて眠ってしまった。



翌朝、起きて外を見たら、上海駅には豆粒のように人が群がっている。エネルギッシュな中国の1日が始まったのだ。
私のゴールデンウィークももう終わり、さあ、スーツケースを片手に空港バス停に向おう。


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