江西省観光(東・北) 本文へジャンプ


瓷都・景徳鎮


景徳鎮は江西省東北部に位置する。世界にその名の知られた「瓷都」である。
古くは新平といい、文献に「新平治陶、始于漢世」とあることから、2千年を越える陶磁器造りの歴史がある。北宋景徳年間(1004年〜1007年)、この地に皇帝真宗が御用窯を作らせ、製作された陶磁器の裏に「景徳年制」の文字を入れさせた。それらの陶磁器の出来映えが評判となり、ついには町の名前も「景徳鎮」と改めて現在に至っている。



陶磁器生産は明代に頂点を迎え、日本の有田焼などに大きな影響を与えた他、中国の代表的な輸出品としてヨーロッパをはじめ広く普及した。英国の大英博物館の収蔵品のうち、実に三分の一は景徳鎮の陶磁器だという話は、かつての人気ぶりを物語る。

景徳鎮の街は、黄山から続く山岳地が平原地帯へ移り変わる丘陵地帯にある。街の中央を流れる昌江の上流には、優良な陶土を産出する高嶺山があり、繊細な磁器の作成には欠かせない場所だった。今でも磁器の材料名が「カオリン」と呼ばれている所以である。


景徳鎮陶磁器


景徳鎮陶磁器の特徴は「白如玉、薄如紙、明如鏡、声如磬」と讃えられる高品質で世界にその名を知らしめている。
「蛍焼」として有名な陶磁器は、明かりにかざすと光を透けて模様の影を映し出す繊細さ。熟練の職人が模様を手作業で彫刻してゆく様子を見学することもできる。また、景徳鎮を代表するのが「薄胎」紙のように薄いが硬い品質の良い製品。

 景徳鎮で陶磁器を購入する際の秘訣が「看、聴、比、試」
「看」は陶磁器の上下内外を細部にわたってよく観察すること。1は釉薬を塗った面の光沢、色つや、擦傷や小穴、黒点や気泡の有無を確認する。2は形状が整い、変形がないか。3は描かれた絵に傷はないか。4は平らな面に置いた際に、底面が安定し、ぐらつくことはないか、である。

「聴」は陶磁器を軽く指で弾いて音を確認すること。音が高くてきれいなものなら、品質が精密で亀裂がなく、高温で焼き上げて完成したことになる。音が鈍いものは、亀裂があるか、焼き上げが不完全である。これらの製品は熱変化に弱く、割れやすいので注意が必要。

「比」は周りの商品とよく見比べること。特に青花瓷などは、焼き上げ中の温度の違いによって、さまざまな色合いを出す。そのため、周りの商品と比べて絵の色が一定していれば、窯元の技術が高い証明となる。

「試」は蓋付きのものや、いくつかセットになった陶磁器を買うときは絶対に試すこと。蓋が合うかどうか試してみる。また、水滴の垂れる「滴水観音」や、一定の位置に水位を保つ「九龍公道杯」などの特殊効能のある商品も、不良品でないかどうか、その場で試したほうがよい。


景徳鎮観光


陶瓷歴史博物館


市の西郊外、田圃や茶畑が広がる楓樹山にある野外博物館。
景徳鎮市内の古建築が移築され、祠堂を中心に、古民家、街道、池や川が配置されて中国の昔の村落を再現している。各年代ごとに、明園、清園に分かれており、明園にある苦菜公故居は中国に現存する唯一の三層式民家として貴重なもの。清園の祠堂、玉華堂も風格ある伝統建築として見応えがある。それら古民家の中には景徳鎮の歴史と、各年代の陶磁器名品が展示されている。
博物館の隣には、景徳鎮でも今や2つを残すのみとなった古窯瓷庁がある。清朝までの伝統的な陶磁器製作の様子を再現している窯元で、明清時代の古い窯を見学することができる。中では古い作品の模造品が売られている。


景徳鎮老街


景徳鎮市街の中心部に、明朝時代の民家136棟がそっくり残った街路がある。
時代から取り残されたような街並みの中でも、3号住宅と11号住宅の2棟は明成化年間(1465年〜87年)の建築になる貴重なもの。住宅内は上堂と下堂が続く構造になっており、石彫りの床、基礎、豊富な文様彫刻が施された柱や梁が巡らされて、重厚な雰囲気を醸し出している。

龍珠閣


市内の中心部、小高い珠山の頂上にそびえる四層の楼閣。
もと明朝の御用窯があった場所に建ち、景徳鎮のシンボルとなっている。建築は1900年だが、細部にまで凝った楼閣は美しい風格がある。楼上へ登れば、足元に広がる景徳鎮市内と昌江を一望することができる。
閣内には、明朝御窯から出土した陶磁器の破片と、現存する明代傑作品が展示されている。


このページのTOPへ

書郷茶郷・ウーユアン


ウーユアン県は江西省東北部、安徽、浙江両省との境界に近い山間部に位置する。名山として知られる黄山、三清山と景徳鎮の旅遊トライアングル上にある「緑色の真珠」である。
 
この県が「書郷、茶郷」と呼ばれる所以は、宋〜清代にかけて、科挙に合格した役人2665人、この地で生まれた著作2180部を数え、中国理学の大家、朱熹を生んだ教育の里に因む。中国茶では、古く唐代より著名な緑茶の産地で、宋代には「全国六大絶品之一」にも数えられた。特に18世紀以降、イギリスへの茶葉の輸出が盛んになると、茶はウーユアンに空前の繁栄をもたらした。



ウーユアンは昔は安徽省に属していたため、民俗文化や方言などは現在でも安徽省南部の人々に近い。素朴な農村風情が色濃く残り、中国伝統の「敬、和、倹、静」といった道徳が今に息づいている。理坑村、李坑村といった山間の農村には、建築後100年を越える古祀堂、民家、書院、戯台、廊橋、などがそのまま残り、中国でも古建築が最も完全な状態で保存された地区のひとつとされている。

緑あふれる山々と碧水の流れる渓流に囲まれて、棚田の間に白壁の古村落が点在する光景は水と緑に恵まれた江南地方ならでは。美しい農村風景全体が自然生態地区に指定され、保護されている。


ウーユアン観光


彩虹橋


ウーユアンを代表する景観のひとつが廊橋。楼閣、屋根付きの橋である。清華鎮には数多くの廊橋が設けられているが、中でも彩虹橋は、宋代に流行した廊橋の建築様式を今に残す優美なもの。橋の上には休憩するための廊亭があり、椅子に腰掛けて周囲を眺めると、街を囲む山々は青く、足元には碧色の河が流れて、景色は十分美しい。


明清古建築


ウーユアンはもともと安徽省に属しており、安徽商人の発祥の地でもあった。中国全土に広がって商売を手がけた彼らは、故郷に多額の投資を行い、特に教育に力をいれた。その結果、ここには読書人が多く、幾多の科挙合格者を輩出した。ウーユアンに集まった富は、また数多くの明清建築を県内各地に残した。役人の邸宅、家族祀堂、商人住居、農家などどれも白壁を特徴とした大きな建物が多い。

どの民家も、前堂と後堂から成る典型的な安徽様式。先祖の祀堂を中心に一族の部屋が数十戸連なって、まるで1つの村を形成しているかのようである。細く長く続く路地は青石が敷き詰められている。



県内で最も完全な形で明清建築群が残されているのは、県城から45km離れた理坑村。村にある「天官上卿第」は明末の吏部尚書余愁衝が客人をもてなした建物。その他、「司馬第」、「駕睦堂」といった邸宅も、9世帯の家族が住んだ大きなもので、建物内部には梁や窓、2階のベランダなどにも細かな彫刻が巡らされ、文化的、芸術的レベルの高さを伺うことができる。


老虎灘


県城の紫陽鎮を周りこむように、湾曲した星河が流れている。橋の上から河に点在する岩が虎の水浴に見えることから「老虎灘」の名がある。星河は紫陽鎮でも最も美しい場所のひとつで、かつて映画のロケ地にもなった場所。最近では観光筏による川下りが行われている。澄んだ河の流れは、両岸の山々を鏡のように映しだしてとても美しい。また、夏になると地元の人たちが河で涼をとる様子も眺められる。

ウーユアン県博物館


紫陽鎮にある中国宮殿様式3階建ての博物館。周代の青銅器からはじまり、各年代の文物1000点以上を展示している。中でも優れているものは、唐代の古硯、宋代の陶磁器、明清代の書画など。理学の祖朱熹の故郷だけあって、彼の遺品である陶硯なども残されている。
最も見応えがある明代の燭台「満堂紅百花金蓮炬」は、重さ90キロ、高さ2mの大きなもの。緻密な細工が施され、使用された翡翠だけで300グラムあるという貴重な品である。


このページのTOPへ

神仙都会・三清山


三清山は江西東北部、浙江省境に近い玉山県に属する国家重点風景名勝区。玉京、玉虚、玉華の3峰が並んでそびえている様子から「三清山」の名がある。48峰が連なる三清山の最高峰は玉京峰1817m。雲海から昇る日の出を眺める名所として知られ、古人は「高凌雲漢江南第一仙峰、清尖峰天下無双福地」と呼んで讃えた。また、1600年の歴史を誇る道教聖地でもあり、山中には50を越える古建築と200以上の石刻などの古跡が残されている。

三清山は総面積220平方キロ、西華台、玉京峰、三清宮、三洞口、梯雲嶺、玉霊観、石鼓嶺の7景区に分かれている。花崗岩が長年の垂直断層作用と浸食によってできた奇怪な岩峰群が林立し、湧き上がる雲と岩間から生える松を併せて、山水画を思わせる光景が展開している。その景観は「泰山の雄偉、華山の峻険、衝山の煙雲、廬山の飛瀑」といった中国各地の名山の長所を全て兼ね備えているとされる。



三清山は植物の宝庫でもある。特に、奇峰に張り付くように生える老松がすばらしい。樹齢4,500年を越える姉妹松や、怪獣を思わせる奇怪な松が生い茂り、山岳風景に独特の生命感を与えている。この他、落差100mの氷玉洞瀑布、幅数十mの龍潭瀑布をはじめ、数多くの滝が連続し、山を訪ねる魅力は尽きない。

三清山の見どころ


玉京峰


三清山の主峰、標高1817m。三面は千尋の断崖が深い谷間に切れ落ち、天然の展望台を成している。日の出と朝夕の雲海を眺めるには絶好の場所である。山頂に立てば、千峰林立する三清山の全景を望むことができる。雲海から突き出た奇峰が島のように浮かび、その美しさは「蓬莱仙境」に身を置いたように感じられる。

巨蠎出山


三清山の中央部、玉皇頂の東側にあり、女神峰と対峙する三清山有数の絶景。この峰は、標高1500mの深い谷間から突然120mも立ち上がった岩の柱で、山の腰周りが小さく山頂部は扁平で大きい。その形は天を突いて鎌首をもたげた毒蛇コブラのようであり、巨蠎出山の名が生まれた。四面を反り上がった絶壁で囲まれ、下部の最も細い部分は直径7mに満たない。

観音聴琵琶


岩峰が林立する梯雲嶺の一角に、高さ200mの岩が突き出ている。その形は1人の老僧が左手に琵琶を抱き、右手で弦を弾いているようにも見える。また、観音像にも見える峰が向かい合って立ち、老僧の奏でる琵琶の音に耳を傾けているかのようだ。山風が吹き抜ける谷間に立ってこの峰を眺めると、はるかに琵琶の音が聞こえてきそうである。


女神峰


玉皇峰の東、玉京峰と向かい合って立つ。高さ80m。遠く近く、またさまざまな角度から眺めても、見事に美しい少女の形をしている。姿は秀麗、鼻も高く、桜桃のような口元、髪は肩に垂れている。両手には2本の老松を持ち、まるで生きているかのようである。この峰には伝説がある。昔、三清山の麓に、薬草採りの老人と娘が住んでいた。娘は老親を助けるために三清山を大海に変えたが、玉帝の怒りに触れて岩峰に姿を変えられてしまった。



三清宮


三清宮は三清山の中腹、玉京峰下にある。伝えられるところでは、晋昇平年間(357〜361年)、道教の神仙思想を集大成した葛洪が仙人になるため、練丹の修道を行った場所とされる。面積310u、梁、柱、壁など全て花崗岩で組まれた珍しい道観建築で、古代建築技術の精華とされている。その他、境内には石彫りの神像、石刻、碑文、池があり、荘厳な雰囲気を醸し出している。周辺は緑豊かな森に囲まれ、自然景観も十分美しい。

龍虎殿


天門峰の東、龍首山の巨大な天然岩の上に、花崗岩で組まれた道観が鎮座している。石彫りの龍と虎が入口を護ることから龍虎殿の名がついた。高さ3.4m、面積44uの堂は明代につくられたもの。堂内には21座の神像が祀られている。龍虎殿の北には、今にも谷間に落ちそうな絶壁の上にしがみつくように、高さ2mの風雷塔が立っている。もともと、崖上に突き出た天然の岩柱を巧みに彫り抜いて人工の六層塔にしたもので、三清山の名所のひとつ。

鵝湖書院


鉛山県鵝湖にある江西四大書院のひとつ。南宋の理学家、朱熹と陸九淵が学術論争をした場所として知られる。朱熹と陸九淵は、浙江省の呂祖謙を通じて鵝湖で会い、南宋淳熙2年(1175年)、両者の見解を戦わせ理学を集大成する「鵝湖の会」を行った。後人はこれを記念して書院を建て、鵝湖書院とした。明清代を通して何度か破壊と再建を繰り返し、現在では半山亭、禅林塔、御書楼、講堂、宿舎が残されている。前に水を湛えた鵝湖に臨み、背後は獅子山がそびえる風光明媚な場所にある。


このページのTOPへ


   
inserted by FC2 system