中国名山・普陀山 本文へジャンプ

普陀山ツアー


普陀山は浙江省の東端、寧波市の沖合いに浮かぶ島で、小さな島全体が仏教聖地であり、中国名山のひとつに数えられる。今回は1日ツアーに参加して行ってきた。

ツアーは朝6時出発なので、5時前に起きて着替え、隣の24時間店で朝食にする。
便利がいいホテルでよかった。15分前にロビーで待っていると、少し早くツアーのガイドさんがやってきた。

「普陀山ツアー?」

そうだ、と答えると、玄関先に止まったマイクロバスに乗せられる。
このバスでいくのかなあ。

しかし、数軒のホテルで客を拾ったあと、月湖公園を望む路上でみんな下車することになった。看板には「寧波中国青年旅行社」とある。ガイドさんは日程表と黄色いバッジを配り

「○○ツアーは○号車、△△ツアーは△号車」

と配車を告げてまわる。どうやら、ここ中国青年旅行社がツアーの発着地で、行き先ごとにツアー組みをするらしい。間違えたら全然違うところへ連れて行かれそうだ。

デイパックを持って車外へ出ると、駐車場にはどこから集められたか、すでに黒山の人だかりができていた。
ひえー、ここから自分のツアーを探すのか。
やがて、次々に大きな観光バスが路上に並び、みんな一斉にバスに殺到する。
まあ、ツアーバスなんだから、置いていかれることはないけれど、それでも必死になって日程表に書かれた号車番号と観光バスの番号を確かめた。

無事に普陀山1日ツアーの観光バスを見つけて乗車する。今日のガイドさんは若い兄ちゃんだった。
バスは朝まだ早い寧波の街を走り抜ける。やがて、街外れに建つ立派な輪渡中心・フェリーセンターへ到着、ここから島へ渡るようだ。
と思いきや、ここは港ではなく、ただの切符売り場だった。まぎらわしいな。
ターミナル構内は列車の駅のように船便ごとの改札があり、時間になるまで開かない。
どう見ても、ここが乗船場でしょう。

今回のツアーに参加する人たちを見回す。
仏教聖地へのツアーらしく、年配の人が多めか。若いカップルも2組いる。そのうちの1組は菜食主義の真面目な巡礼者だと後から分かった。首には大きな数珠を下げている。
そして、一番目立つのが、軍や警察の制服を着崩したおじいさんの5〜6人グループ。退職者の旅行だろうけど、ツアーの中で傍若無人な振る舞いを見せる。
ここフェリーセンターでも煙草に火をつけて、服務員から禁煙だと追い出され、普陀山行きの改札と全然違う列に並んで、ガイドさんに連れ戻される。
中国では退職した軍人や警官に各種の優遇制度があるけれど、先払いしたツアー料金が割引になっていない!と窓口やガイドさん相手にやりあう、この後、老人たちはガイドさんの要注意グループになった。

さて、時間が来て、改札が開いた。
高速船のチケットを切ってもらい、港へ行く専用のバスに乗り換える。
さらに1時間近く寧波の郊外を走って、ようやく海辺のフェリー港へ到着した。泥色をした海には、高速船が止まっている。





普陀山というと山岳地帯のようだけど、実はここから船で約1時間、舟山列島に浮かぶ島である。高速船はザバザバと黄色い波しぶきを立てて東シナ海を突っ走った。船内には普陀山観光のVCDが流れている。

中国仏教の四大聖地のひとつで、小さな島ながら百を越える寺院と、千人を越える僧侶が暮らし、島全体が「海上仏国」と称される観音霊場なのだという。その全てを見て回るには、12日が必要である。
今日のツアーは主に島の南部を巡り、北部には行かないのだった。
瀬戸内海のように島影が多い海を走り、やがて緑の小さな島に接岸した。港には金色の文字で「普陀山」と書かれている。

高速船を下りて、まずは徒歩で島内ツアーが始まる。
寺の数が百を越えるだけあって、港の前にも小さな寺がある。線香や土産物を扱う商売っ気たっぷりの寺も多い。ツアーの半分が線香を買い、私は買わなかった。それから山手の道を巻くように歩いてゆく。

海軍施設をすぎて山登りがはじまり、石段をあえぎながら登ると、洞窟に観音像が祀られた「観音洞庵」、さらに本格的な山道になって、親亀子亀が仏の説法に耳を傾けているような「二亀聴法石」、島を見下ろす稜線に出ると、普陀山随一の奇岩と呼ばれる「磐陀石」や「説法台石」がある。
磐陀石は絶妙なバランスを保っている石で、今にも落ちてきそうだ。









島の稜線を遊歩道で辿る。
いくつかの山寺をすぎて、下へ降りてゆくと、有名な「心字石」がある。一枚岩に、5m×7mの大きさで「心」と刻まれている。しかし、誰が何の謂れで書いたのか、不明なのだそうだ。
ツアー前半は心字石で終わり、山を下りたレストランで円卓を囲む。
このとき、先の若い巡礼カップルは別席で精進料理を食べていることから、熱心な仏教徒であることが分かった。別のツアー参加者が興味深そうに尋ねると、彼らは何やら願掛けをしていて、巡礼中は菜食で通すのだという。
例の老人グループは、彼らだけで別テーブルをあてがわれ、ビールだ、酒だ、と騒いでいる。
その他大勢グループの食卓は、一般の海鮮料理。この周辺の海はいい漁場で、普陀山では海鮮料理が有名だとガイドさんは言うが、はて、海上仏国で魚料理はいいのだろうか。

レストランからマイクロバスに乗って、このツアーのハイライト「普済禅寺」へ。
普陀山三大寺院では最も大きく、中国でも有数の仏教寺院で、黄色に塗られた壁や屋根は、もともと皇帝にしか許されていない黄色を特別に勅許されたもの。常に老若男女の捧げる線香の煙がたなびく境内は広く、楠の老木が生い茂って独特の落ち着きがある。
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日間にわたる旅行中にほとんど会わなかった日本人ツアー客も、普済禅寺ではよく見かけた。









ところで、普陀山は実は日本と切っても切れない縁がある島。
それは、次にマイクロバスに乗ってやってきた「不肯去観音院」にある。
その昔、日本から遣唐使として中国に渡った僧侶が、帰国の際に五台山で観音像を求め、寧波の港から出航した時のこと。船が舟山列島に差し掛かると、やおら海が荒れて前へ進めなくなってしまった。観音様が日本へ行きたがらないのだ、と考えた僧侶は、とある島に船を止めて観音像を祀った。それが、仏教聖地・普陀山の始まりといわれる。
ということで、不肯去観音とは、「どうしたって行かない観音」の意味である。

駄々っ子のような名前だし、日本へ行きたがらない観音を観光するのもちょっと複雑な気持ちだ。
この辺りは島の南部にあたり、周囲に海が見晴らせる。海は黄土色でお世辞にもきれいとは言えないが、高台から望む海と島々の景色はなかなか素晴らしい。日本の仏教会が建てた修行道場もあった。
ツアーの最後は歩いて南端に立つ「南海観音」へ。巨大な観音像が静かに海を見下ろしている。



そもそも普陀山の地名は、日本の熊野信仰にもあった「普陀洛信仰」から来ている。
それは、海の向こうにある理想の仏の国のことで、日本の熊野では東海が、ここ中国では南海が観音浄土だと考えられて、多くの僧侶たちが小船に身を任せて航海に旅立ち、そのまま帰って来なかったのだ。

マイクロバスで港へ戻る。
フェリー港の売店には、仏教関係の本やCDが売ってあり、私は「癒しの音シリーズ」と銘打って、竹林や緑茶をイメージした音楽CDを買った。
おや、仏教歌手?何だこりゃ、妙におばさんな歌手に混じって、若そうな女の歌手がジャケットに載ったCDがある。買わなかったけど。そしたら、帰りの船では、VCDで仏教ポップスなるMTVが繰り返し流れていた。ドレスを着て出てきた歌手が、お寺の中で歌いまくる。
さすがだなあ、中国仏教界。

ちなみに、仏教ポップスではないけど、謝雨欣が歌って中国で大ヒットした「老公老公我愛NI」という歌の中にも「あなた、あなた、愛しています。阿弥陀仏もお守り下さいます」なんて歌詞が普通に出てくる。
あの、あなたは浄土真宗門徒ですか?







寧波の港に着いて、帰りは途中のフェリーセンターに寄らずに、一路、市内を目指す。
途中で夕方の渋滞にはまったりしながら、月湖の寧波中国青年旅行社に着いたのは夜になっていた。みんなここで観光バスを降りる。
ホテルが遠い客は送迎があるようだが、ガイドさんは私に、

「あなたは寧波飯店ですね、近いから歩いて行けますか」と言う。

いいですよ。散歩がてら、歩いて帰ります。すると、

「じゃあ、僕も歩いて帰るので、途中まで送りましょう」

あ、ありがとうございます。

ツアー中には、ガイドさんとは、会話らしい会話もしなかった。だけど、さすが旅行業の人だけあって、私がちょっと違うと気になっていたらしい。

「あなたは、どこの人ですか?」

私は日本人です。リーベンレン。

「どこ?」

分からないかな、アラ、サパニン。

「おお、日本人ですか!なんで寧波方言が話せるの?」

いや、なんとなく上海語と同じかな、と思って。

「コンニチハ、アリガト、ですね」

おお、ガイドさんも日本語を話せるの?

「いや、ガイドの資格を取るときに勉強したけど、ちょっとだけだから、忘れちゃいました」

ホテルの近くまで送ってもらい、メールのアドレスを交換して分かれた。これも一期一会の出会いだ。そのまま繁華街にあるチェーン店の永和豆乳で排骨飯を食べ、ホテルに帰った。



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